私は幼い頃から、芸術文化プロデューサーである祖母にミュージカル、バレエ、宝塚歌劇、能など様々な舞台を観賞させてもらいました。小学4年の時に、祖母の薦めで現在師事している梅若実玄祥先生(うめわか・みのるげんしょう 日本芸術院会員・人間国宝・観世流シテ方)に能を習い始めました。師匠が優しく教えてくださるので続けていましたが、正直なところ当時は能の面白さにはまだ気付いていませんでした。
本気で能を習いたいと思うきっかけは、高校2年の時に受けた音楽の授業です。教科書で偶然開いたページに、能の説明が書かれていました。世界最古と言われる能、なぜ650年以上も続いているのだろうと疑問に思い調べるうちに、能の面白さに気付き始めました。
■阪神・淡路大震災を知らない世代、「橋掛かり」でつなぎ他人事から我が事へ
神戸にお住まいの能楽師の先生に、阪神・淡路大震災のお話を聞きました。壊滅的なダメージを受けたのは街並みだけでなく、人々の心だったこと。阪神・淡路大震災を体験していない私にとっては、想像をはるかに超えた事実を聞かせてもらったものの、どう返事をするべきなのか分かりませんでした。人々の心の癒しとなるために、当時は他県の能楽師の方々が募金をつのり、義援能を開演されたそうです。
はるか昔から語り継がれている能には、自然災害の復興を祈る作品が多くあります。例えば「翁」という演目。これはその中でも「能にして能にあらず」といわれる、別格の一曲です。この「翁」は他の能と違い、神聖な儀式としてとらえられています。物語めいたものではなく、演者は天下泰平・国土安穏を祈祷する舞を舞うのです。かつて文明が未発達だった頃、自然災害や飢饉などがおこると、人々は「神の怒りを鎮める」という意味もふくめて祈りを捧げました。能はその一端を担っていたのです。“芸能”という枠を超え、祈りに通ずるこの文化に、私はなにかすごいパワーを感じます。食べ物や衣類など、物理的に人を救う手立てと同様に、芸術・文化にも人の心を救う力があるのだと、その時の話から強く学びました。
また、能には「亡くなった方の魂を慰める」といった物語も多くあります。能舞台には、本舞台の向かって左側に「橋掛かり」と呼ばれる長い廊下があります。これは現世と黄泉の世界とをつなぐ道ととらえられ、演目の中では“幼くして亡くした子供と母親が再会する”というようなシーンが描かれます。
能の世界の死生観では、当たり前に行き来ができるこの特性を活かせれば……私は、そういった作品を観る、演じる折に触れて、感じること・知っていることを話し、またゆくゆくは震災をテーマにしたオリジナルの現代能を演出してみたいと考えています。
時とともに震災が風化されてはいけません。数百年も伝えられ続けている祈りや舞いがあるように、26年前の出来事を直に知らない私たち世代が、それを知り、次へと伝えていくことが大切だと思います。その伝える手段の一つとして、私にとっては能があり、それを通して向き合えればと思います。