明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。2021年1月7日の放送回のテーマは、「播磨街道と古市・三草峠」。番組パーソナリティーで、「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授が歴史トークを展開しました。
◆篠山盆地は交通の要衝
古代の山陰道は、ほぼ現在の国道9号です。今の国道9号は、丹波国の地域では、京都府側の丹波を通っていますが、古代の山陰道は、京都から西に進み、今の天引峠を越え、旧多紀郡(丹波篠山市)に入っていました。
天引峠を越えると、(兵庫・丹波篠山の)福住を通り、八上城の北の麓にやってきました。「重兵衛茶屋」のあたりで二股に分かれて篠山盆地を西北に進み、山を越えて丹波市の佐治の方角へ。さらに遠阪峠を越えて但馬の国へ入っていくと、古い時代の山陰道です。もう一方の南西の方角に進む道が「播州街道」今の国道372号です。
つまり、篠山盆地のすぐ東の所で二股に分かれて北西の但馬へ抜けるのか、それとも南西の播磨に抜けるのかという、重要な交通路です。たとえば、今から約800年前の西暦1184年には、一の谷に向かう源義経の軍勢が京都から出て、ここから播磨路に向かい、小野・三木から一の谷に向かったわけです。
◆源義経の伝説が街道沿いに…
八上の東に「泉」という土地があります。この「泉」の「こう山」は、義経一行がここを通って行くときに、この地のお寺が供養の法事(寺講)をやっていたので「講山」というようになり、現在は「剛山」と表記しています。
そこから八上の分岐点を西南に進んで行きますと、ちょうど篠山城の南、今の篠山鳳鳴高校一帯の丘陵を「笛吹山」と呼んでいるんです。義経はこの地で一服して笛を吹いたとかね。
それから、ちょうど舞鶴若狭自動車道の近くに「小枕」というところがあります。昔は小さい枕ではなく、「駒鞍」、“駒(馬)の鞍”でした。義経一行がここで馬の鞍を洗ったと言われている場所です。馬の口を洗ったという、馬口池(ばくちいけ)があります。
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2021年1⽉7⽇放送回音声