映画公開から94年の聖地巡り 昭和初期の神戸と今をみる

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 神戸映画資料館の公式サイトで配信されている映画「黄金の弾丸」は、神戸の市街地や旧外国人居留地、須磨で撮影され、1927年1月9日に公開されたもの。その貴重な映像で出てくる看板や、ポストに記載された番地などから、このたび、当時の場所を推測しました。

 映画「黄金の弾丸」のなかで、「愛の賊」が逃げ込んだ建物をみると、レンガ造りの建物が右側に広がり、中央には「兼松商店倉庫」という看板の文字が読み取れます。4階まで伸びる階段を、老人に扮した「愛の賊」が全速力で駆け上がっていきます。

 大正5年、旧居留地の一角を兼松商店が本店用地として買い取り、れんが造りの建物を建てました。旧居留地124番地に建つ石柱は通用門であり、外国人居留地の東端にあるため、「東町」と名付けられています。昭和60年、文化遺産認定。

(写真提供:神戸映画資料館)
(写真提供:神戸映画資料館)

 門柱を見ながら、どのような建物だったのだろうかと想いをはせていると、神戸映画資料館の安井喜雄館長より、ご自身が撮影した1974年の兼松商店の写真をいただくことができました。その右部分に「通用門」とあります。通用門は建物の東側に面しています。

 兼松商店、建物北側の正面玄関。

 兼松商店北側から建物を望む。写真左には、東遊園地が広がります。現在、この道は神戸ルミナリエのメインストリートでもおなじみですが、東遊園地は「内外人公園地」の名称で神戸港開港の1875年に開園。1899年までは外国人のみ入場が許可され、野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツが日本に上陸しました。

 映画「黄金の弾丸」より、1シーン。

 映画「黄金の弾丸」より、逃げる「愛の賊」を追う刑事たち。角の丸いポストに「中山手通」の文字がみられます。1911年に完成した元三田藩士で兵庫県会議員を務めた小寺泰次郎の私邸の北側で撮影されているもの。当時は、後に第11代神戸市長となる長男、小寺謙吉や家族をはじめ、多くの家内使用人が暮らしていたそうです。2万平方メートルの敷地には屋敷をはじめ洋館、重要文化財となった厩舎、日本庭園が広がっています。

 1941年に神戸市が譲り受けた建物は、現在は「相楽園」として一般公開されています。

 映画のなかで映し出されていたポストは、現在、形を変えて北側の道に移動しています。

映画「黄金の弾丸」より
映画「黄金の弾丸」より

 映画「黄金の弾丸」より。何度もカーチェイスのシーンを見るうち印象的な窓を発見。

 旧居留地108番の近藤商店跡地。白い壁についていた窓枠をそのまま残して、記念碑が残されています。画家、小松益喜の回想記事によると「白い壁におもしろい窓がついていた」。近藤商店ではウィスキーの輸入を行っており、白い壁の建物の北側にはコンクリートタタキ塗の黒い壁面の事務所があったと回想しています。

 神戸大空襲の被害も受けず、終戦後しばらくはそのまま建物が存在していました。この記念碑は居留地の東端、東町の一本西にある伊藤町に置かれたもの。伊藤町は初代兵庫県知事伊藤博文にあやかって名付けられました。

 このたび、よみがえった神戸の貴重な風景が登場する映画「黄金の弾丸」は、活動弁士の大森くみこさんと、サイレント映画ピアニスト・天宮遥のピアノでお送りする「活弁版」、楽器伴奏がつく「合奏版」の2種類で配信。料金は1000円で、30日間視聴できます。詳細は神戸映画資料館の公式サイトに掲載されています。

(文:天宮遥)


◆神戸映画資料館 公式サイト
https://kobe-eiga.net/

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