「行けば何でもそろった!?」 歴史にふれる宿場町「平福」 兵庫・佐用町 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「行けば何でもそろった!?」 歴史にふれる宿場町「平福」 兵庫・佐用町

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 400年前、因幡街道の宿場町として栄えた名残を多くとどめる、佐用町を代表する観光スポット、「平福」。その町並みの魅力を一部紹介しよう。

利神城跡(写真提供:佐用町役場)
利神城跡(写真提供:佐用町役場)

 まずは、標高373メートルの利神山(りかんざん)山頂に石垣が残る、国史跡「利神城跡(りかんじょうあと)」。この城は、南北朝時代に建てられた砦を前身に、関ケ原の戦いで功績の有った池田輝政(てるまさ)の甥・由之(よしゆき)が輝政の命を受け、わずか5年で大改修を行ったもの。

 このときの城は「雲突城(くもつきじょう)」とも呼ばれ、三層の天守閣が特徴。ふもとには御殿屋敷(ごてんやしき)をはじめ、さまざまな屋敷が建ち並び、城主が住んだ約30年間は「城下町」として栄えたという。

 それ以降は参勤交代が始まり、「平福」は因幡街道随一の宿場町として、旅籠(宿屋)12軒をはじめ約240軒の商家が並んだ。そして、「平福に来ればなんでもそろう」と、昭和の初めごろまで栄えることに。町家に作州系と播州系の特徴が混在していることからも、当時の往来が盛んであったことがうかがえる。

 現在も佐用川沿いに土蔵が連なり、家にはなまこ壁やウダツ、虫籠窓(むしこまど)など、歴史ある風情を色濃く感じながら散策できるエリアとなっている。

因幡街道の宿場町として栄えた名残が多く残る「平福」の町並み(写真提供:佐用町役場)
因幡街道の宿場町として栄えた名残が多く残る「平福」の町並み(写真提供:佐用町役場)

佐用川沿いに土蔵が連なる(写真提供:佐用町役場)
佐用川沿いに土蔵が連なる(写真提供:佐用町役場)

 剣豪・宮本武蔵のこんなエピソードも残っている。武蔵の生誕地は、となりの岡山県美作市と言われているが、武蔵が13歳の時に、町はずれの金倉橋のたもとで、新当流の達人、有馬喜兵衛(ありま・きへい)に初めての勝負を挑んだと言われている。勝敗は、武蔵が一刀のもとに倒したと言われており、五輪書(ごりんのしょ)の序文の一節が刻まれた碑がある。

 その他にも江戸時代に鋳物屋だった瓜生原(うりゅうばら)邸を利用した「お休み処 瓜生原」、江戸時代の土蔵群がならぶ川端風景、「平福郷土館」など見どころが満載だ。


◆宿場町・平福(佐用町観光協会ホームページより)
http://34cho.com/kankou/shukubamachi-hirafuku/

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