雛道具に見る江戸と京阪の違い 「雛まつり~江戸と明治のお雛さま~」 学芸員によるリモート・ミュージアム・トーク | ラジトピ ラジオ関西トピックス

雛道具に見る江戸と京阪の違い 「雛まつり~江戸と明治のお雛さま~」 学芸員によるリモート・ミュージアム・トーク

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 姫路市香寺町の日本玩具博物館で「雛まつり~江戸と明治のお雛さま~」が4月11日まで開かれている。雛人形の歴史や形式についてテーマごとに尾崎織女・学芸員に解説してもらうリモート・ミュージアム・トーク。4回シリーズの最終回は「江戸の雛道具、京阪の雛道具」。

●江戸の雛道具・京阪の雛道具

 前回登場した随筆家の喜田川守貞は、『守貞謾稿』のなかで、江戸と京阪の雛道具の違いについても、このように記しています。要約すると、江戸の雛道具は、「琵琶・琴・三絃、将棋・碁・双六の三盤、厨子棚、黒棚、書棚、見台、箪笥(たんす)・長持(ながもち)・挟箱、鏡台などはみな、黒漆塗りに牡丹唐草の蒔絵を普通としていて、総じて京阪よりも華美で結構なものである」と。先にご紹介した国貞の天保年間の浮世絵「風流古今十二月ノ内 弥生」でも、また次にご覧いただく安政年間(1854~60)の浮世絵「源氏十二ケ月内 弥生」でも、江戸の町家の段飾りには、大名の姫君の輿入れ調度を小さく作ったような優美な雛道具がずらりと並べ飾られています。

写真①安政ごろの雛まつり 《源氏十二ヶ月之内 弥生》(歌川国貞画)より
安政ごろの雛まつり 《源氏十二ヶ月之内 弥生》(歌川国貞画)より

 一方、京阪の雛道具は、「調度の類は箪笥や長持もあるが、多くは庖厨(=台所)の諸具をまねてもので、江戸より質素で鄙(ひな)びてはいるが、少女たちに倹約を教え、家事を習得させるにはよい道具である」と記されています。つまり、江戸時代後期、京阪地方では身近な台所道具が雛飾りに用いられ、それらは、少女の家庭教育の道具としての位置づけをもっていたと考えられます。

 実際に、当館が京阪神地域の家庭から寄贈を受ける雛飾り一式には、明治・大正時代を経て、昭和時代の中ごろに至るまで、白木の「勝手道具」が数多く含まれているのです。

写真② 雛の勝手道具(明治末期)
雛の勝手道具(明治末期)

 神棚をもつ明治時代末期の台所には、流し台と調理場、食器の様々、車井戸などが当時素材そのままに小さく作られています。味噌樽(みそだる)、醤油樽(しょうゆたる)、鰹節削り器(かつおぶしけずりき)、ホウロク、カンテキ、砧、石臼にネズミ捕り器までセットされ、すぐにでもままごと遊びを始めたくなる楽しさです。小さなまな板の上で野草を刻んだり、客人にお茶を入れたり……。少女たちはハレの日のままごと遊びを通して家事を覚え、良き婦人になるための心得を身につけていたのでしょう。

 こうした雛の台所道具は、昭和30年代半ば頃まで、京阪神地方一帯の家庭の桃の節句を賑やかに彩りましたが、量産される日常のままごと道具に押されて、今では雛飾りのなかから、すっかり姿を消しています。御殿飾りもまた、戦後には東海地方で製作された一式が広く西日本一帯で流行しましたが、昭和40年代に入ると、百貨店や人形店などが頒布する段飾り雛に押されて姿を消していきました。高度経済成長とともに日本の家庭が経済的に豊かになり、また全国規模での流通網が整えられたことによって、量産された雛人形が全国津々浦々にいきわたるようになりました。そのかげで、関東と関西だけでなく、地方がそれぞれに伝える雛飾りが家庭から失われていったのです。

 今春は、そのような地方色豊かな雛飾りは収蔵庫で休ませておりますが、また来年以降にお目にかけたく思います。本展では、江戸(東京)と京阪の雛人形や雛飾りの様式の違いにもご注目いただき、百年前、二百年前の人々が描いた憧れの世界に思いを巡らせながら雛まつりの春をお楽しみください。(日本玩具博物館 学芸員・尾崎織女)


【公式HP】

◆「雛まつり~江戸と明治のお雛さま~」 学芸員によるリモート・ミュージアム・トーク
(1)雛人形に見る「京阪好み」と「江戸好み」
(2)あなたは「京阪好み」「江戸好み」?
(3)江戸は段飾り 京阪は御殿飾り

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