《東日本大震災10年(1)》定点観測で聞こえた「復興への足音」日本地震学会・西影裕一さん

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 見た光景すべてが驚きであった。一面、津波で建物が破壊されているのだが、それ以外で印象的だったのは海から500メートルも離れて陸地へ流されてきた大型タンカー、高さ15メートルの建物で屋根の上に乗り上げた自動車、引き波で海側に引き倒された防潮堤など思いもしないような光景であった。

岩手県宮古市山田町・防潮堤 引き波で海側に引き倒された<2011年9月9日撮影>

 人々の生活の痕跡がすべて「無」になっていた。そして、視野に入るのは高々と積まれた家財道具等のゴミの山だけ。

岩手県山田町 敷地いっぱいに積まれたゴミの山<2011年9月9日撮影>
岩手県宮古市山田町 敷地いっぱいに積まれたゴミの山<2011年9月9日撮影>

 残念なニュースも耳に入る。津波で町長・職員が亡くなった岩手県・大槌町役場の庁舎前に祭壇があり、中にさい銭箱が置かれているのだが、そのさい銭箱が数回盗まれていたのだ。そんな人間がいるのかと憤慨した。

岩手県・大槌町役場 庁舎前には献花とさい銭箱<2013年10月26日撮影>
岩手県・大槌町役場 庁舎前には献花とさい銭箱<2013年10月26日撮影>

 一方で日本人の素晴らしさも目の当たりにしてきた。日本中が総力を挙げて復興に取り組んでいたのである。沖縄から駆け付けた自衛隊は人々が待ち望んでいた仮設風呂を設置した。入浴した人たちのホッとした顔は忘れられない。また、行方不明者を必死で捜索している警察官、信号機が使えないので交通整理をしている兵庫県警の警察官がいた。

岩手県大槌町で交通整理中の兵庫県警・警察官<2011年9月9日撮影>
岩手県大槌町で交通整理中の兵庫県警・警察官<2011年9月9日撮影>
宮城県多賀城市に那覇駐屯地(沖縄)から派遣された陸上自衛隊・第15旅団<2011年5月3日撮影>

 日本中から自衛隊・警察・消防署職員が多数集結して活動していた。こういう時に心強い。福島県・浪江町では、放射線を浴びながらも放射能の汚染土を処理していた人々の「私たちが処理しないで誰が処理をするのですか。自分たちは責任持って取り組んでいる」との言葉に感動した。

福島県浪江町・津島中での汚染土処理<2012年1月28日撮影>
福島県浪江町・津島中での汚染土処理<2012年1月28日撮影>
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