見た光景すべてが驚きであった。一面、津波で建物が破壊されているのだが、それ以外で印象的だったのは海から500メートルも離れて陸地へ流されてきた大型タンカー、高さ15メートルの建物で屋根の上に乗り上げた自動車、引き波で海側に引き倒された防潮堤など思いもしないような光景であった。
人々の生活の痕跡がすべて「無」になっていた。そして、視野に入るのは高々と積まれた家財道具等のゴミの山だけ。
残念なニュースも耳に入る。津波で町長・職員が亡くなった岩手県・大槌町役場の庁舎前に祭壇があり、中にさい銭箱が置かれているのだが、そのさい銭箱が数回盗まれていたのだ。そんな人間がいるのかと憤慨した。
一方で日本人の素晴らしさも目の当たりにしてきた。日本中が総力を挙げて復興に取り組んでいたのである。沖縄から駆け付けた自衛隊は人々が待ち望んでいた仮設風呂を設置した。入浴した人たちのホッとした顔は忘れられない。また、行方不明者を必死で捜索している警察官、信号機が使えないので交通整理をしている兵庫県警の警察官がいた。
日本中から自衛隊・警察・消防署職員が多数集結して活動していた。こういう時に心強い。福島県・浪江町では、放射線を浴びながらも放射能の汚染土を処理していた人々の「私たちが処理しないで誰が処理をするのですか。自分たちは責任持って取り組んでいる」との言葉に感動した。