劇作家・平田オリザさんのルーツを紹介する特別展「平田オリザと時代を駆け抜けた平田家の人々」が、3月15日まで、平田氏にゆかりのある赤穂市の市立美術工芸館・田淵記念館で開かれている。味呑英和学芸員によるリモート・ミュージアム・トークの最終回をお届けする。
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平田オリザさんの祖父の内蔵吉(くらきち)さんは、赤穂出身の医学者であり、東洋医学の革命児と言われました。明治34(1901)年4月26日に赤穂市加里屋に生まれました。今年が生誕120年になります。内蔵吉という名は、赤穂藩の筆頭家老で四十七士を率いた大石内蔵助良雄にちなんでいます。
大正8(1919)年、18歳で将来の医師を目指し、鹿児島の第七高等学校(造士館)理科乙類に入学します。折りしもその年、世界的大流行(パンデミック)となったスペイン風邪で父の寛治さんと長姉の町子さんを亡くされています。その後、京都帝国大学・医学部に入学、文学部哲学科に転籍し、卒業後、京都府立医科大学・本科に入学されています。
内蔵吉さんは、東洋医学の臨床家(療術家)かつ研究者でしたが、同時に哲学、宗教思想、心理学、国学、国文学、易学、科学史の研究家であり、さらに詩人であり、体育の研究家・実践家でもありました。昭和史上でも稀にみるマルチ知識人であり、万能的文化人と言えるでしょう。
東洋医学の鍼灸、指圧の原理を統一調和させ、簡単な家庭療法に集約した平田式心療法の創始者であり、特に、西洋医学の「ヘッド氏帯」と東洋医学の「経絡」を帰納、折衷した「平田(氏)帯」を提唱されました。
そして、東洋医学伝統の鍼(針)と灸の効用を同時に兼ねさせ、しかも刺入しないため皮膚を傷つけず、また火傷を起こして痕が残ることもない簡便な皮膚刺激治療器を開発し、多くの愛用者を生み出しました。今回展示している「平田式熱鍼心療器」は、戦後、高弟の方が改良複製したものです。これは、義母のトミさんが胆石病を患い、あらゆる医療を施しても効果がなく、たまたま当時京都で盛業中の加藤式の無痕灸(温熱瞬間療法)を試みたところ、約2週間で全治した、ということが、開発した動機になっています。