また、川合式強健術の創始者・肥田春充氏と協同して「国民体育教範」を完成し、「国民皆医運動」として指導にあたられました。
詩の創作については、今回展示している第一詩集『大君の詩』、第三詩集『美はしの苑』などを刊行されています。また、今回の展示では、内蔵吉さんの原稿のコピーも展示しています。
平田オリザさんの大叔父の晋策(しんさく)さんは、内蔵吉さんの三歳下の弟です。幕末長州藩の尊穣派志士で、明治維新への道をひらいた一代の英傑・高杉晋作にちなんで名付けられました。
晋策さんは、少年誌に子ども向けの軍事小説を書き、軍事評論家としても一世を風靡しました。小学6年生の時の成績は、上中下の三段階評価で、修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、手工、操行はすべて上で、体操だけが中だった、とのことで、今回の展示では、そのことがうかがえる通知簿などを展示しています。龍野中学に入学後、教科課程が進むにつれて、文科系の課目に興味をもつ一方で、理数系の課目を毛嫌いし、やがて代数、幾何などの勉強は全く放棄してしまったそうです。
上京し訪ねたのが、愛読していた小説家の菊池寛さんの邸宅でした。そのときの様子が、菊池寛さんの短篇作品「ある青年」に書かれています。その後、記者などを経て執筆活動を行います。
昭和5(1930)年、駐日米国大使ウィリアム・キャッスルと会見し、そのインタビュー記事によって一層有名となり、海軍軍令部次長・末次信正中将から資金援助をうけるようになりました。軍事評論家として精力的に評論を執筆・展開し、具体的なデータをあげた戦力の分析や雄弁調の論説が買われ、少年誌から軍事読み物の依頼が殺到した、とのことです。作品の特徴は、それまで荒唐無稽だった軍事小説に、リアリティのあるSF的な要素を加えた点にあった、とオリザさんは言われています。