姫路市香寺町の日本玩具博物館で、「神戸人形賛歌~ミナトマチ神戸が育てたからくり人形~」展が8月31日まで開かれている。その魅力について尾崎織女・学芸員に3回シリーズで解説してもらう。1回目で取り上げるのは、「神戸人形の歴史」。
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
「神戸人形」をご存知でしょうか。つまみを前後に回すと、台に乗った黒い人形が手を動かし、首をふり、真っ赤な口をあけて西瓜を食べたり、酒を飲んだり……。デザインの奇抜さと動きの滑稽さが笑みを誘う、楽しいからくり玩具です。
1981(昭和56)年に「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)」が開催された頃は、加古川市在住の数岡雅敦(1928-1989)が数百種類にもおよぶ多様な作品を製作。また、元町商店街(神戸)の玩具店「キヨシマ屋」や三宮センター街の「神戸センター」などでも、独自の「神戸人形」が盛んに販売されていました。なつかしく思われる“神戸っ子”の皆さんも少なくないでしょう。
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
「神戸人形」が創始されたのは、明治時代中ごろのこと。ろくろ首や三つ目小僧、また目や舌が飛び出すお化けを表したものが多く見られたため、はじめは「お化け人形」の名で親しまれていました。また、神戸の観光地である布引の滝でも売られていたため、「布引人形」と呼ばれることもありました。
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「神戸人形」といえば、黒いものと思われがちですが、明治中期から大正時代にかけての作品は、柘植(ツゲ)の木肌の滑らかさと彫刻の繊細さに特徴がありました。大正末期から昭和初期になると、漆器を想わせる黒と赤の彩色に人気が集まったためか、全体が黒く塗られるようになり、「神戸人形」の呼び名が定着します。
お化けや鬼といった幻想的な題材と、からくりの面白さが受けたのでしょう。海外からの観光客に大いに愛され、戦前の「神戸人形」のほとんどが、日本土産として神戸港から海を渡っていきました。実際、欧米の個人の家庭や博物館施設のなかで「Kobe-Doll」たちは大切に保管され、また今も世界各地にアンティークな「神戸人形」の熱心なコレクターが存在します。