停電と断水にも見舞われたため、下城駅長らは道の駅で販売している米、野菜加工品等を近くの避難所に提供した。また地震により通行不可となった道が多くあったことから、阿蘇周辺の道路の通行情報を住民やドライバーから聞き取り、観光マップに落とし込んで、住民や復旧支援に向かうドライバーらに渡していった。
「あの時は道路が壊れすぎて、どこを通っていいか分からなかった。“ここは通れた”、“ここは通れない”というのを集めて、道の駅にあった観光マップに書き込んでいきました。電気がないのでコピーもできず、1枚1枚手書きで。阿蘇と熊本市は離れているが、距離の割に人の行き来が多い。熊本市内の学校に通う子どもはどうしているのか、阿蘇に残る高齢の親は元気か……、安否確認に向かうときに通行マップはかなり喜ばれた。普段から道路の情報に接している道の駅だからこその取り組みだったと思う」(下城氏)
下城氏は「手探りでの活動で失敗も多かった」というが、道の駅が災害時に果たせるポテンシャルの大きさに気づかせてくれる。九州・沖縄「道の駅」連絡会も熊本地震の翌月にまとめた報告で、各地の道の駅が果たした役割をまとめている。
・余震が頻繁に続くなかで、駐車場が広く24時間トイレが使えることから車中泊の場所として利用。道の駅「大津」(熊本県菊池郡大津町)の駐車場は地震発生直後、昼夜を問わずほぼ満車
・飲食料品、日用生活用品等を無料配給し、被災者を支援
・道の駅「あそ望の郷くぎの」(熊本県阿蘇郡南阿蘇村)では、隣接するアウトドアショップより、避難者へのテント、寝袋等の貸し出しが行われ、駐車場が避難場所として活用された(テント設置数は、約30張)
・道の駅「旭志」(熊本県菊池市)では、いち早く施設を再開させることが重要との駅長の考えから、他の施設よりもいち早く道の駅を再開。肉が豊富にあったため、800人分の“焼きだし”を実施
・広い敷地や駐車場を大型車両が少なくない自衛隊や工事車両の基地として利用も。道路が寸断された南阿蘇村では救援物資を運びこむヘリポートとしても利用された
※いずれも「熊本地震で『道の駅』が防災拠点として果たした役割」より(九州沖縄道の駅連絡会、2016年5月)