V1姫路の眞鍋政義球団オーナー 初代監督は「竹下しかいないと、初めから思っていた」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

V1姫路の眞鍋政義球団オーナー 初代監督は「竹下しかいないと、初めから思っていた」

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 女子バレーボールのトップカテゴリー、Vリーグ1部(V1)・ヴィクトリーナ姫路の眞鍋政義球団オーナーがクラブの応援ラジオ番組に出演。クラブの初代監督に元日本代表の竹下佳江氏を抜擢したエピソードを明かした。

 聞き手は、ヴィクトリーナ姫路応援番組『いいな117ヴィクトリーナ』(ラジオ関西)でパーソナリティーを務める菅原未来(元ヴィクトリーナ選手、現クラブスタッフ)と佐藤りな(スタジアムMC)。4月19日放送の様子(中編)は下記のとおり。

写真左から、眞鍋政義球団オーナー、『いいな117ヴィクトリーナ』の菅原未来と佐藤りな
写真左から、眞鍋政義球団オーナー、『いいな117ヴィクトリーナ』の菅原未来と佐藤りな

【佐藤】世界を見据えて、世界で戦っていけるチーム、ということで作ったのですね。では次の質問ですが、ヴィクトリーナ姫路といえば、眞鍋オーナーと竹下佳江球団副社長というバレーボール界最強のコンビですよね。なぜ、チーム設立当時、竹下副社長に監督として声をかけたのでしょうか。

【眞鍋オーナー】これはいろいろなアイデアがあったのですが、私自身は「竹下しかいない」と初めから思っていました。バレーボールは1964年東京オリンピックから正式種目になって、1回だけオリンピックに行っていない。それは2000年シドニーオリンピック予選で、最後、東京で負けたんですよ。そのときの正セッターが竹下佳江。竹下は21歳か22歳でした。そのときにマスコミの皆さんに、シドニーオリンピックに行けないのは「背の低いセッターを使ったから行けない」と竹下がひとり、やられた(責められた)んです。だから竹下はそれで(一度)引退したんです。21歳、22歳でですよ。オリンピックに行けず、ひとり責められて……。竹下はそういう苦しみを知っていて、そしてその後にロンドンでメダルを取って、その(喜びと苦しみの)両方を知っているんでね。そういった意味で、やっぱり私は「初代監督は竹下しかいない」と。でも、竹下に声をかけて約1年半くらい、返事をもらえなかった……。本当に1年半。何回も広島に行きましたよ、その当時。広島に行って、直接お願いして、ようやく決まりました。

【佐藤】竹下佳江さんですが、『世界最強最小セッター』というキャッチフレーズが強い印象で、正直ちょっと怖そうな、強そうな……そんなイメージがあります。普段の竹下副社長はどんな方ですか。

【眞鍋オーナー】うーん……これ、竹下は聞いていませんかねぇ。だって1メートル58センチか9センチの選手がね、世界ナンバーワンになるんですよ。そんなこと、普通に練習していては無理ですよ。どれだけきついか。そのへんのグラスだったら、竹下が2~3分ずーっと見ると、グラスがパリって割れるくらい、竹下は気が強いですよ。これ、竹下聞いてませんよね。ははは……(笑)。

【佐藤】でも言い換えれば、それだけ強い芯を持った、素晴らしい女性ということですね。

【眞鍋オーナー】そうそう、良いこと言いますね~! そうですよ。でも、やっぱり監督になって、子どもを産むと変わりましたね。今は穏やかですよ。昔のイメージが全くない。みく(菅原)違う? どう?

【菅原】(昔のイメージのような)監督時代の印象はないですね。


ラジオ関西『いいな117ヴィクトリーナ』では選手に向けた応援メッセージを大募集! 皆さんからの熱いメッセージを『ヴィックエール』と名付け、番組内で紹介している。ヴィクトリーナ姫路を一緒に盛り上げるため、はがき、または、メールで番組までぜひ送ってほしい。

【はがき】〒650-8580 ラジオ関西『いいな117ヴィクトリーナ』係
【メール】117vic@jocr.jp
【Twitter】『#ヴィックエール』(ハッシュタグ ヴィックエール)をつけて投稿

菅原未来と佐藤りな
『いいな117ヴィクトリーナ』パーソナリティーの菅原未来と佐藤りな(写真:ラジオ関西)



ヴィクトリーナ姫路ファンクラブ「VICTORINA FAMILY」
https://vic-himeji-fan.com/

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いいな117ヴィクトリーナ | ラジオ関西 | 2021/04/19/月 17:35-17:50

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