神戸人形の魅力とは 「海を渡ったお化けたち」 リモート・ミュージアム・トーク(下)

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 兵庫県姫路市香寺町の日本玩具博物館で、8月31日まで「神戸人形賛歌~ミナトマチ神戸が育てたからくり人形~」展が開かれている。尾崎織女・学芸員によるリモート・ミュージアム・トーク。最終回のテーマは「海を渡ったお化けたち」。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

●「小田太四郎」の登場

 幾人もの作者たちが競い合うようにユニークで工芸的な作品を生み出していた明治・大正時代、続く大正末期から昭和初期にかけて、神戸人形製作に取り組んだのが小田太四郎です。小田太四郎(1883-1950)は、日露戦争に従軍し、両脚を負傷。家業であった建具仕事がうまくいかずにいたところ、「神戸人形」製作の斡旋を受けたといいます。太四郎の妹が出崎房松に嫁いでいることから、先に「神戸人形」を作っていた房松から多くの技術を学びました。

小田太四郎の「神戸人形」 大正末期から昭和初期
小田太四郎の「神戸人形」 大正末期から昭和初期

 昭和4(1930)年、小田太四郎は、神戸へ行幸された天皇へ「神戸人形」を献上する栄に浴します。その折、「神戸人形」についての「天覧品説明書」を作成しますが、下書きと思われる自筆の書類が残されています。それによると、太四郎は、「神戸人形」の沿革について、「明治廿四、五年頃ノ創始ニ係ルモノニシテ、日露戦后、一時非常に盛ナリシモ、現今、市内ノ生産者トシテ一戸ニ過キズ…」としています。製造地および営業所は「神戸市上澤通」(兵庫区上沢通)。原材料は鹿児島県産の柘植(ツゲ)。用途については、「内外小児ノ玩具ニ供セラルルノ外、男女学生ノ勉強ニ依ル疲労ヲ慰スルノ具ニ供セラル」としています。

小田太四郎商店のパッケージ・「釣鐘お化け」と「琵琶弾き」(昭和初期)
小田太四郎商店のパッケージ・「釣鐘お化け」と「琵琶弾き」(昭和初期)

 さらに、年間生産総額は「約七千円」、年間生産数は、なんと「約壱萬個」。1か月に約830個という驚異的な数を製造していた計算になります。いくらか割り引いて考えないといけないかもしれませんが、この量産体制を支えていたのは、太四郎と三人の職人でした。部品については、明石の木工所や姫路ごまの西澤源水氏、小野のそろばん製作所など、兵庫県の伝統産業から生み出される品々を取り寄せて使用していました。太四郎は「小田太四郎商店」のカタログを作成し、販売先を外国にまで広げていきました。カタログ写真には63種類の「神戸人形」が見出されます。

小田太四郎商店の商品カタログ写真(一部)
小田太四郎商店の商品カタログ写真(一部)

 小田太四郎商店の神戸人形を扱っていたギフトショップは、観光地・布引にあった「山本商会」や元町の「キヨシマ屋」、この二店が分かっています。神戸港へ外国船が入るたび、数種類の作品を1~2ダースも注文していく来店客も少なくなかったようです。

 戦争が激しくなる昭和17(1942)年、太四郎は、郷里の岡山県後月郡(現在の井原市)へと疎開し、昭和25(1950)年に病没するまで、甥の静夫や数名の職人とともに「神戸人形」を作り、神戸へ送り続けていました。戦後、元町の玩具店「キヨシマ屋」の店主は、何度か岡山まで、商品をとりに行ったことがあると語っています。物資が乏しい戦中戦後の「神戸人形」は、象牙や牛の骨製ではなく、白絵の具の描き目になっていますので、その点に注目いただくと、戦前のものとの違いがわかります。

戦中戦後の「神戸人形」—象牙製の目ではなく、描き目になっている
戦中戦後の「神戸人形」—象牙製の目ではなく、描き目になっている

●神戸人形が欧米人に愛された理由

 日本人が自ら思う日本らしさからは少し隔たった感のある「神戸人形」——なぜ、「神戸人形」は、海外からの旅行者に日本土産として愛されたのでしょうか。「神戸人形」を収集する欧米の方々にそんな質問をぶつけてみると、――(1)創始期の作品にみられる繊細なからくりにひかれる、(2)素材(柘植や象牙)加工の美しさとお化けや鬼といった題材がファンタジーに富み、神秘的な日本のイメージをかもしている、(3)漆器を思わせる黒と赤のコントラストが素晴らしい――そんな答えが返ってきました。

 また、当時は円高で、1個あたり80銭ほどの「神戸人形」は、海外からの旅行者にとっては安い買い物であったこと、手のひらにのるサイズは、トランクに収まりやすく携帯に便利という要素もあったでしょう。小田太四郎は、注文を受けるギフトショップを通して、欧米人の感性や要望を知り、より売れる作品を考案し、購買客のリクエストやニーズに合わせた商品づくりを行っていたものと思われます。創始期において、個人が生み出す“手工芸品”であった「神戸人形」が、量産される“商品”の体裁を整えていったことが理解されます。

「猿の親子」の台底にイギリス・リバプールのJOHN A.WILL氏の名刺が貼られている。 1909(明治42)年のクリスマスにJOHN氏(Jackは愛称)から姪に贈られたものと考えられる。
「猿の親子」の台底にイギリス・リバプールのJOHN A.WILL氏の名刺が貼られている。 1909(明治42)年のクリスマスにJOHN氏(Jackは愛称)から姪に贈られたものと考えられる。

「神戸人形」が日本人に愛され、主に日本人に購入されるようになるのは戦後のことで、戦前の購買層は、主に欧米からの外国人観光客でした。祖父から父へ、父から子へ、子から孫へと家族的なつながりで受け継がれる郷土玩具とは異なり、「神戸人形」は、このからくりにひかれる有志によって模倣的に作られ、自己表現を織り込んで発展をみたものといえます。そこには、地方から夢をもって様々な人たちが集まってきていた神戸の下町ならではの地域性が表れており、一方で貿易港を有する国際都市なればこその先進性と近代性が反映されています。

 現在開催中のテーマ展「神戸人形賛歌~ミナトマチ神戸が育てたからくり人形~」では、戦前の古作品、150点をにぎやかに展示していますので、4月下旬に出版される書籍『神戸人形賛歌』(吉田太郎著・日本玩具博物館協力/神戸新聞総合出版センター刊)と合わせてお楽しみいただければ幸いです。(日本玩具博物館 学芸員・尾崎織女)                                   

春夏のテーマ展「神戸人形賛歌」展示風景
春夏のテーマ展「神戸人形賛歌」展示風景

■日本玩具博物館
〒679-2143 兵庫県姫路市香寺町中仁671-3
電話 079-232-4388
FAX 079-232-7174

入館料 大人600円、高大生400円、小人(4歳以上)200円
休館日 毎週水曜日(祝日は開館)、年末年始(12月28日~1月3日)
開館時間 10:00~17:00
アクセス JR「姫路」駅から播但線に乗り継ぎ「香呂」駅下車、東へ徒歩約15分 / 中国自動車道路「福崎」インターチェンジから南へ15分、播但連絡道路「船津」ランプより西へ5分

※緊急事態宣言を受けて、日本玩具博物館は5月11日まで臨時休館することが決まったと発表した。同館は「状況によりましては休館を延長させていただく場合もございます。ホームページでご案内させていただきますので、来館の際はご確認ください」と述べている。


【公式HP】
【春夏のテーマ展「神戸人形賛歌~ミナトマチ神戸が育てたからくり人形~」(公式HPより)】

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