女子プロ野球が淡路島に残したもの(3)選手たちのいま 田中朋子さん・泉 由有樹さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

女子プロ野球が淡路島に残したもの(3)選手たちのいま 田中朋子さん・泉 由有樹さん

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 この夏の全国高校野球選手権大会の決勝前日、高校女子の全国大会(全国高校女子硬式野球選手権大会)の決勝戦が、史上初めて阪神甲子園球場で開かれる。女子野球のチームは学生からプロまで全国その数が増えていて、年々その裾野が広がっている。兵庫県の淡路島には2017年まで女子プロ野球チーム「兵庫ディオーネ」があった。地元を中心に根強いファンに支えられていたが、18年に愛知に移った。女子プロ野球が淡路島に残したものは何だったのだろうか。

 淡路の人たちに支えられた兵庫ディオーネ。地元の少年少女たちが始球式をつとめたり、試合中のボール運びを担当したりと、「野球」という夢を目指す子どもたちにとって、ディオーネはあこがれの存在だった。ディオーネが淡路島から移って3年。淡路島に、今また女子野球の火が灯ろうとしている。2人の元選手が淡路島に帰ってきたのだ。田中朋子(たなか・ともこ)さんと泉由有樹(いずみ・ゆうき)さん。ともにディオーネでプレーした元選手だ。田中さんは、京都フローラでコーチに就いたあと、地元の和歌山ではなく、淡路島に戻った。

「お世話になった方に恩返しがしたいという思いと、淡路島から女子野球がなくなったので、復活させたかったんです」

 その決断を泉さんに伝えた。東京の実家に戻っていた泉さんは「ジャイさん(田中さんの愛称)とならと思い、決めました。でもそれより前に『もう一回、女子野球を作ってみない? 作れたらいいね』と、話したことがあったんです」。

 冗談交じりの会話が動き出したが、いざ作ろうと決めたものの、新型コロナウイルスなどのため、選手の勧誘も満足にできなかった。このため先にチーム名を公募、決まった名前は「淡路ブレイブオーシャンズ」。ユニフォームは淡路島の海と美しい夜空をイメージして、鮮やかな青色のグラデーションにした。

淡路ブレイブオーシャンズ(後列右端が田中さん、左端が泉さん / 田中さん提供)

 やがて選手1人が加入、田中さんが監督に、泉さんが選手兼任コーチという3人でチームが動き出した。日中は仕事、平日夜の約2時間と土日を使って、練習を続けた。今年の春、選手の数はコーチ兼任の泉さんをいれて14人にまで増えた。

 そして新球団として初めての公式戦出場となった6月6日の関西女子硬式野球選手権ラッキートーナメント大会の1回戦。同じ淡路島の蒼開高校に6対4で勝利した。

 何がここまで彼女たちを突き動かしているのだろうか。田中さんは「女子野球を広めたい、元々あった淡路にチームを作りたい、という思いが大きかった」。泉さんは言う。「地元の方が『ディオーネが帰ってきた』と言ってくれるんです。うれしいけど実はプレッシャーで、これからディオーネにいかに近づけるか、なんです」。

 今回立ち上げたのは社会人のチームだ。大会に出るためには予選から勝ち上がらなければならない。田中さんは「クラブ選手権でナンバー1をとりたい。でも私たちも成長しないと勝てない。時間はかかると思います」と目標を掲げる。


◆女子プロ野球が淡路島に残したもの 
【(1)選手たちのいま 大山唯さん】
【(2)監督のいま 碇 穂さん】

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