明石市で「市民夏まつり・花火大会」の見物客11人が死亡、247人が重軽傷を負ったJR朝霧駅の歩道橋事故から20年となった21日、遺族らが現場を訪れて犠牲者を追悼した。事故現場となった歩道橋には遺族らが歩道橋に設けられた慰霊碑「想(おもい)の像」の前に花を手向け黙とうした。
当時2歳だった次男・智仁ちゃんを亡くした神戸市垂水区の下村誠治さんはラジオ関西の取材に対し「20年前のこの日、息子を連れてきた私が助けられず『申し訳ない』という思い、これは変わらない。最近、特に自然災害の恐ろしさを思い知らされることも多いし、新型コロナウイルスの感染拡大についても、人々が安心で安全な生活をするためにはどうすればいいのか、事故直後から『ここ(事故現場の歩道橋)に置いてきた時間』があるが、20年が過ぎ、優しさやいたわりを持って生きてきたかを問いたい。風化は仕方ないかも知れないが、安心・安全という文化は残すことはできる」と話した。
その一方で「やはりこの場所へ足を踏み入れるのは辛い、きつい。事故が起きた夏が近づくとPTSD(心的外傷後ストレス障害)が襲う。胸がつかえるというのかな。前へかがまないと気持ちが落ち着かなくなる。助けてやれなかった智仁に、あの世で会って『申し訳ない』と謝って、許してもらえるのだろうか。そうしたことを思いながら、優しさがある社会になってほしくて事故の教訓と、安全について語り続けたい」と語った。
明石市ではこの事故を境に、2002年以降、市が主催や後援をする花火大会は開催されていない。下村さんは「花火大会自体が悪いのではない。あの事の原因は警備計画のずさんさと当日の警備体制の手薄さだった。最近心配なのは、明石の子どもたちがコロナ禍で楽しむ場所や笑顔になれる場がないこと。こんな時だからこそ、花火大会など楽しいイベントを求める声が挙がっても当然だと思う。コロナ収束を願いつつ、安全対策に留意して開催できる日が来るのを待っている」と訴えかける。
■「怒りと敵対」から「やさしさと思いやり」へ
「暑いなかごくろうさま。まず、ペットボトルの水を飲ませてな。皆さんもお持ちの水をひと口飲んで」。下村さんは21日午前、明石市の入庁1年目の職員20人に向けて「安全とは」という題で、事故現場のJR朝霧駅歩道橋で講義した。若い職員らの緊張をほぐすためだと言うが、下村さんはある人に何気なく掛けられた一言が忘れられないという。