2年連続慰霊式中止も、関係者だけで黙とう「戦争の記憶を伝えるのが我々の使命」 神戸の「戦没した船と海員の資料館」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

2年連続慰霊式中止も、関係者だけで黙とう「戦争の記憶を伝えるのが我々の使命」 神戸「戦没した船と海員の資料館」

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 アジア太平洋戦争の終戦から76年となった15日、神戸市中央区の「戦没した船と海員の資料館」では、関係者だけで集まって静かに黙とうを捧げた。

資料館ロビーで黙とうが捧げられた

 同資料館は戦争中に犠牲になった民間の輸送船や乗組員らの資料を集めており、例年8月15日は慰霊式を開き全国から遺族など100人が集まる。しかし新型コロナウイルスの影響で昨年春から休館が続く。このため慰霊式も、コロナの影響で昨年に続いて中止を判断。関係者だけでの黙とうとなった。

黙とうと同時に、船の上で正午を伝える「八点鐘」の鐘が打ち鳴らされた

 神戸市垂水区から訪れた58歳の女性は、船乗りだった兄(享年26歳)を亡くした母とともに10年近く前に同資料館を訪問。長く詳細がわかっていなかったが、兄の名前と船名から最後を詳しく知ることができたという。母の兄がのっていたのは輸送船「扶桑丸」。門司港を出てフィリピンに向かったが、ルソン島の32キロ沖で米軍の攻撃を受け1944年7月31日に沈没した。もともと体も弱く、体調く悪なったため門司で下船するはずが、なぜかそのまま出港したという。

「遺骨も戻ってこなかったので、詳しい最期をしれて母も喜んでいました。ただその母も、今年5月に94歳で亡くなりました。きょうは叔父(母の兄)のことを慕っていた母の思いと一緒に、祈りを捧げました」と感慨深げに話した。

 太平洋戦争で商船や漁船といった民間船の運航に携わる人々が戦場に駆り出され、兵士や弾薬、物資などの輸送を担った。同資料館によると十分な護衛もなく、7,000隻を超える商船と6万人以上の船員が犠牲となったという。同館スタッフの岡村世紀一さんは、「小さな漁船もいれれば犠牲となった船は1万隻をこえるはず。しかし正確な数字がわからない」と話す。

命を失った船員たちの遺品が平和への思いを伝える
第一展示室では1941年12月から1945年8月までに戦没した船舶の写真が6面の壁に渡って展示されている

 また同じくスタッフの大井田孝さんは「海軍と陸軍がそれぞれバラバラに民間船を徴用したことも被害を広げた。それぞれで場当たり的な判断で民間船を取り合った形。ロジスティックについて、大局的な視点での議論や協調があれば、護衛体制もましになって被害が少なくなったかもしれない」と指摘。「軍部はアメリカに振り回されたが、その軍部に民間船は振り回された」と述べた。

第一展示室入り口
資料館スタッフの岡村世紀一さん
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