◆「田辺眞人のラジオレクチャー」
12月10日は、剣術家で北辰一刀流の祖、千葉周作の命日です。彼が亡くなった安政2年は、太陰暦と太陽暦で1855年と1856年にかかり、ペリーが来て和親条約が結ばれた1年後です。
千葉周作は漫画にも登場します。♪剣をとっては日本一に、夢は大きな少年剣士♪ という主題歌でも知られる『赤胴鈴之助』です。『赤胴鈴之助』は、作者の福井英一が急死した後、武内つなよしが連載を引き継いで大ヒット。後に、アニメや実写映画にもなった作品です。主人公の金野鈴之助が、父の遺品の赤い胴をつけて通うのが、東京のお玉ヶ池にある千葉周作の剣術道場です。鈴之助の得意技は「真空斬り」で、兄弟弟子の竜巻雷之進の「稲妻斬り」とやり合います。鈴之助は架空のキャラクターですが、千葉周作は実在の人物でした。
「千葉」という名前は坂東八平氏のひとつ。平安時代半ばに、関東地方で平家一門に加入した房総地方の武士団の流れと伝えられている一族です。千葉周作は、江戸後期に東北の気仙沼に生まれ、5歳で父親と放浪に出ます。
周作は、旅の途中で千葉吉之丞から剣術を習いました。この吉之亟は、相馬藩の御前試合で負けた後、「妙見山」(大阪府豊能郡)で修行をしていたところ、夢に現れた北極星の妙見菩薩に剣術の奥義をうけて北辰夢想流に開眼した、という伝説が残っています。「辰」とは星のこと。北辰は北極星です。地域の北の方角に北辰を祀っているところは多く、摂津国では川西能勢口(兵庫県川西市)の北にある三角の山、妙見山が北極星信仰で知られます。
周作は1本の刀で戦う一刀流を身に付け、2つの流儀を合わせた北辰一刀流を生み出します。他流試合を重ねて名を上げ、1822年に江戸日本橋に道場「玄武館」を作りました。後に、神田のお玉ヶ池に千葉道場を移します。多くの門人を抱え、周作と弟の定吉が教えました。
千葉道場ではさまざまな人が学びました。江戸城無血開城で活躍する山岡鉄舟、新撰組の清河八郎や山南敬助も門下です。そして、もっとも有名なのが坂本龍馬。1853年4月、龍馬は土佐藩から勉強のため江戸に行き、周作が亡くなる2年前に千葉道場に入ります。この年の6月にペリーが浦賀に来て沖縄で冬を越し、翌1854年に再び来航して日米和親条約結びます。江戸で黒船の実態を見た龍馬は、この後高知に帰りますが、故郷で攘夷を叫ぶ人々を見てジレンマを抱えたでしょう。