「印刷物だけでの情報伝達が難しくなる時代が来るのかも」と察した岸さんは、わらをもつかむ思いでアメリカ視察に参加。そこで出会ったのが、印刷の前段階にあたるコンサルタントの領域を生業にしている会社だった。
「これだと思いました。モヤモヤしたものがなくなったというか」
1997年には社名をそれまでの「日新堂印刷」から現在の社名に変更。1999年には4代目社長に就き、退路を断つために自社から印刷機を捨てる決断をする。
「印刷機があったら、印刷の上手なオペレーターを募集してしまう。我々はポジションを変えた。だからデザインの感性豊かな人や顧客のヒアリングがうまい人を集めないといけない。社名もそう。ウェブや動画の仕事を請けるときに、社名に“印刷”とあったら『片手間でウェブやっとるんか』と思われてしまう」
それから20年余り。パソコンの普及で誰でも手軽に印刷が可能となった。印刷業界を取り巻く状況は厳しいが、いち早く印刷機と決別した同社はいま「情報加工コンサルティング会社」として成長を続けている。様々なデザインコンテストでの入賞も重ねており、本社会議室には表彰状が並ぶ。女性社員が7割を占めるのも、印刷機をメインにしたかつてであれば考えられなかったことかもしれない。
岸さんは社業転換を果たした次の課題を「女性が活躍できる会社にすること」と話す。
「女性社員にはリーダー研修などもどんどん受けてもらい、逆に今まで会社を引っ張ってきた男性陣にはフォローに回ってもらう。女性が働きやすい会社組織を一度作ってみたい。そうしたことを今から体験しておけば、数年後には時代に合った会社になっていると思います」
コロナ禍で学んだことは「膝をつきあわせて話す重要さ」という岸さん。「印刷会社から情報加工コンサルティング会社へ」。これからも既成概念にとらわれない柔軟な思考で老舗企業を率いる。
※ラジオ関西『こうべしんきん三上公也の企業訪問』2021年12月14日放送回より
【2021年12月14日放送回…放送音声】