西の比叡山と称される書写山・円教寺(姫路市書写)で18日、一千年以上続く「修正会(しゅしょうえ)・鬼追い会式」が営まれた。
円教寺の鬼追いは、かつて夜通し行われていたことから、本殿・摩尼殿(まにでん)の扉が完全に閉じられた暗闇で、ろうそくと松明の炎だけを頼りに書写山の鎮守、「若天(わかてん)」「乙天(おとてん)」と呼ばれる赤鬼と青鬼(護法童子)の舞が続く。
今年も昨年と同じく、新型コロナウイルスの感染拡大防止対策を施し、「密」にならない空間を確保するため、摩尼殿の扉はすべて開放された。恒例の秘仏・六臂如意輪観世音菩薩も開帳されたが、摩尼殿から参拝者に向けて撒かれる無病息災を祈祷した箸 「鬼の箸」は、抽選で配った。さらに円教寺ホームページやFacebook(フェイスブック)でもライブ中継された。
赤鬼と青鬼は円教寺を開いた平安中期の高僧・性空(しょうくう 910年~1007年)に仕えたとされている。性空の出自は京都の橘氏とされ、早くから山岳仏教を背景とする聖(ひじり)として、多くの霊験があったという。このうち、青鬼は不動明王の化身で、悪霊を追い払う宝剣を握り、赤鬼は毘沙門天の化身で、槌を背負い、右手で鈴を鳴らし左手で松明を振りかざして火の粉を散らして四股を踏み、大地を浄めて五穀豊穣を祈る。こうして書写山の春が始まる。
鬼の役は、書写山の麓に住む梅津家が担い、赤鬼役は17年間務めた父親から5年前に息子に引き継がれた。性空がこの地に開山して以来、一千年を超える歴史の中で梅津家が円教寺を護り、仕えてきた。