◆「田辺眞人のラジオレクチャー」
2022年2月27日まで、兵庫県立美術館で「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」が開催されています。今回はエジプトについて考えます。
エジプトは、アフリカ大陸の東北の角に位置する四角い形の国です。ただし、これは緯度と経度で国境を決めるようになった「近代のエジプト」のこと。3000年前は「赤い土=デシェレト」と呼ばれる砂漠地帯はエジプトではなく、ナイル川の上流から腐葉土が運ばれてくる「黒い土=ケメト」と呼ばれる肥沃な土地がエジプトとされていました。
台地状のアフリカ大陸を川が削り、その谷筋と地中海へ流れ出たところに堆積した三角州=デルタは、豊かな土壌で水が充分あって暖かい。外の赤い土地は死の世界ですから、境目はここでした。
2500年前にヘロドトスというギリシャの歴史家が「エジプトはナイルの賜物」という言葉を残しているように、人々の暮らしはとても豊かだったのです。
今から7000年ほど前(紀元前5000年ごろ)に農耕社会ができ上がりました。小さい国が並び立ち、紀元前4000年~3000年に統合され、三角州の地域が下エジプト、ナイル川流域の谷間地域が上エジプトに。紀元前3000年ごろ、その2つが統一されて古代エジプト王国ができました。
紀元前300年ごろ、エジプトはギリシャ人アレクサンドロスによって征服され、大王の死後、かの武将プトレマイオスの一族が代々王となりました。この王朝の最後の女王がクレオパトラです。
クレオパトラは、ローマのシーザーと手を結び、プトレマイオス王朝は残りました。シーザーの死後、クレオパトラは、アントニウスとオクタビアヌスとを天秤にかけますが、選んだアントニウスがアクティウムの海戦(紀元前31年)で負けてしまい、エジプト王国はローマの支配下に入りました。古代エジプトは、紀元前3000年から紀元前31年まで続いた王国でした。