エジプトの人たちは、肉体を保存しておけば魂は復活すると信じていました。有力な者はナイル川の西側、太陽が沈む方向にピラミッドを建て、復活した時に暮らせるよう、家財道具をたくさん置きました。
ファラオ(古代エジプトの王)の家財道具は黄金です。そのため、ピラミッドは「黄金を盗んでください」と言っているようなものですから、ピラミッドの墓を作ることはそれほど長く続きませんでした。やがて、ナイル川西側の砂漠に地下トンネルを掘って棺を納めりようになります。この墓が多くある一帯を「王家の谷」と呼んでいます。
古代エジプトには、何千年も墓泥棒で生計を立ててきた盗賊村があったので、名だたる王の墓には何も残っていませんでした。
ところが有名なツタンカーメン王の墓は、20世紀まで盗掘に遭わずに残っていました。16歳で亡くなり、無名で墓の規模も小さかったからです。大王でない墓があれだけ立派なのですから、もしクフ王やラムセス2世のお墓が手付かずで残っていたら、どれほど素晴らしいものだったことでしょう。
古代エジプトの前期は、孤立した社会でした。北は地中海、東は紅海、南と西は砂漠。大きな材木がなく海に出て行く船が作れませんが、国内が豊かなため、海外に行かなくとも成り立ったのです。
外との交流がありませんから、国に名前を付ける必要もありません。エジプトの語源が「魂の館」というように、命あるものはここにしか住んでいないとさえ思っていました。川にも名前は要りません。「ナイル」は「川・水」という意味です。
紀元前1600年ごろ、鉄の武器を持ったヒクソスが馬に乗って侵入してきました。エジプト人は外にも世界があると知り、今度は外国へ攻め出すようになっていきます。
エジプトが、1つの世界ではなくなり、メソポタミアなどと合わさったオリエント世界ができ上がってゆくのです。