昨今の欧米での議論は、NATOはEUに覆いかぶさる安全保障の1つのかたまりであり、皆で皆を守る同盟。確かにその考え方が通用していた。しかしロシアや中国、イランからすると、そうではなかった。同盟という”きれいごと”を言っていたに過ぎない。実際に問題が起きるとEUによる経済制裁、という流れになる。やはり「リアル・ポリティックス」は生きている。
例えば、20世紀に生きた人と21世紀に生きた人とが、世界観がうまくかみ合わなかったり、アメリカで言えば、経済重視のトランプ・前大統領と人権重視のバイデン・現大統領の違いがあったりするのと同じで、プーチン大統領とアメリカ・ヨーロッパとの対立と同じ。プーチン大統領自身の感覚は20世紀のままであり、ウクライナはロシアに飲みこまれるだけかも知れない。中国との関係がねじれた香港と同じようになる懸念がある。
今回のウクライナ危機で、思っていた以上に21世紀的な価値観、グローバル化のもとでの相互依存という考え方が共有されていなかったと感じる。国連安保理のロシアへの非難決議についても、インドと中国が棄権することになった。インドはそもそも日本、アメリカ、オーストラリアと連携枠組み「QUAD(クアッド)」で協調しつつ、多方面の外交を継続しているはずなのに。実はインドもそんなにグローバル化を信じていなかったのか、ここは国際政治を研究する我々にとってリアルに考える必要があると思う。
そこへ、これまで積極的な介入を躊躇していたドイツが突然、「力の政治」を是認するかのようなメッセージを出した。先述のとおり、ドイツにとってウクライナは、第二次世界大戦で大きな被害を出した地であり、また、自らの行為で現地住民に多大な犠牲を強いた「トラウマ」の土地。そのドイツが、軍事力を増強し、その地で軍事的な役割を果たそうとする。しかもその選択をしたショルツ首相は保守派ではなく、進歩派のSPD(エスぺーデー・ドイツ社会民主党)。その進歩派の首相が軍事を拡大しようとする。戦後のドイツ政府は長年、軍事力ではなく外交と対話を重視してきたが、逆にそれが行き詰まったとして、方針転換したとみることもできる。譲歩できても会話できなかった。
第二次大戦の敗戦国と戦勝国のうち、ドイツや日本のような敗戦国は軍事的な枠組みが取れない、それが大戦後の世界平和の維持に結びついていた。しかし今回、ロシアよりはるかに経済力の大きいドイツが、仮にGDP比2%まで国防費を拡大すれば、相当な規模になる。
大戦後、リベラルを守ってきたドイツが、それをかなぐり捨てて、やっぱり”力”というのなら、状況はかなり変わるかも知れない。それが大戦後、皆が一生懸命信じようとしてきた”平和を守る価値観の終わりに”なってしまえば、大変なことだ。