《神戸連続児童殺傷事件25年》亡き娘・彩花が命かけて教えてくれた「試練」 父・山下賢治さん手記 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《神戸連続児童殺傷事件25年》亡き娘・彩花が命かけて教えてくれた「試練」 父・山下賢治さん手記

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 1997年に起きた神戸・連続児童殺傷事件で、小学4年の山下彩花さん(当時10歳)が亡くなってから23日で25年となる。彩花さんの父・賢治さん(73)が手記を寄せ、「彩花が生きた時間の倍の歳月が流れようとも存在が薄れることはなく、私たちの心にしっかりと根を下ろしている」と心境を語った。

 彩花さんは1997年3月16日、神戸市須磨区の路上で頭を金づちで殴られ、1週間後の23日に死亡した。事件後、母・京子さんは全国各地の小中学校などで「命の大切さ」を伝える講演を続け、自らの思いを本にするなどしていたが、2017年6月に乳がんで死去した。

事件翌年・1998年8月に建立された慰霊碑 男女の子供2人がほほ笑み、寄り添う「なかよし地蔵」彩花さんが通っていた小学校はこの北東に<神戸市須磨区友が丘>
事件翌年・1998年8月に建立された慰霊碑 男女の子供2人がほほ笑み、寄り添う「なかよし地蔵」彩花さんが通っていた小学校はこの北東に<神戸市須磨区友が丘>

■父・賢治さんの手記全文<原文のまま>

 最愛の娘・彩花が10歳でこの世を去って25年、彩花が生きた時間の倍の歳月が流れようとも彩花の存在が薄れることはなく、私たちの心にしっかりと根を下ろしています。
事件後、想像を絶する絶望に陥りながらも、歩み続けることができたのは、妻・京子の存在が大きかったのですが、闘病の末、5年前に亡くなってからは、周囲の皆様からたくさん支えていただきました。妻が事件から丸20年の時に綴(つづ)った手記の言葉は、今も私の胸に刻まれております。
「私たち家族が20年をかけて学んだのは、“試練の中でこそ魂が磨かれ、人の幸せを願う深みのある優しさと、倒れても立ち上がろうとする真の強さが育まれる”ということです。家族の絆もさらに強くなりました。それらは決してお金で買うことができない宝物であり、彩花が命をかけて教えてくれたことに他なりません。
これからも、体験し学んだことを丁寧に社会にお返ししていくことが、私たちの役目だと思っております。」 加害者の男性からの手紙は、2018年以降、届いておりません。被害者家族に対して償う気持ちがないのでしょうか? 私なりの方法で、今後も「償いと謝罪」を求めていきたいと思っております。 静かに彩花の命日を迎えさせて頂ければありがたく存じます。

《神戸連続児童殺傷事件》

 1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花さん(当時10歳)と小学6年の土師淳君(当時11歳)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時14歳)を逮捕した。
 少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2004年に仮退院した。そして2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版し、被害者遺族から批判が起きた。仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えているという。

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