「兵庫・神戸のヒストリアン」田辺眞人のラジオレクチャー。今回は、兵庫・明石ともゆかりのある歌人「柿本人麻呂」について紐解きます。
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万葉集は、平城京に都が移された奈良時代に編さんされた、日本で最も古い和歌集です。古墳時代から奈良時代までの和歌4500首が収められています。土器や木簡、紙に書かれたもの、口伝えされたものから集め、作者は、天皇、下級役人、不詳のものまで身分もさまざまです。誰が編集したのかは分かっていませんが、一番多くの歌が掲載されていることもあり、当時最も新しい時代の歌人だった大伴家持(おおとものやかもち)が中心となったのではないかと考えられています。
「和歌」とは、日本語で詠った「大和歌(やまとうた)」のこと。心に強い印象を受けたことを他の人に「うったえる=うったう」ことが名詞になったのが「うた」です。日本語は、5音節と7音節を繰り返すと、リズム感がでます。「長歌」は、5・7・5・7が何度も繰り返され、最後に7・7で結ぶもの。「短歌」は、5・7・5・7・7で詠まれた歌です。
万葉集の歌人の中で最も優れていると言われているのが、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)です。万葉集には、柿本人麻呂の長歌が19首、短歌が75首収められていて、そのほとんどが、天皇や皇子・皇女をたたえる歌です。また、恋の歌も多く見られます。
たくさんの歌を作っているにも関わらず、不思議なことに、彼自身の人生についてはほとんど記録に残っていないため、恐らく下級役人だったと考えられています。辞世の歌を石見国(いわみのくに)(島根県)で詠んでいることから、最後の役職は石見の国司だったとも考えられます。
彼は各地を旅し、明石を詠った歌も遺しています。
「天離る 夷の長通ゆ恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ」
(あまざかる ひなのながちゆこひくれば あかしのとより やまとしまみゆ)
意味:長い田舎の道のりを、都を恋しく思いつつ来ると、明石海峡からふるさと奈良の山々が見えた