1818年、弟子たちに見守られて忠敬は亡くなります。弟子たちは心配します。地図作りは忠敬の遺志を継いで自分たちが進めるとしても、莫大な予算がかかることから幕府から打ち切られるのではないか……。
そこで弟子たちは幕府の役人・高橋景保(かげやす)(中井貴一の二役)に相談します。
弟子「伊能先生が亡くなりましたことを伏せてはいただけませぬか」
景保は弟子たちの熱意に打たれ、意を決して言いました。
「では、今しばらく先生には、生きていていただきましょうか……」
忠敬が死んだことを秘密にして、その間に地図を完成させようというのですが、もし幕府に事実を知られれば打ち首になってしまいます。
こうして、地図を描く作業と並行して、忠敬が生きている偽装工作を重ねる日々が始まります……。
原作は、立川志の輔が作った落語「大河への道-伊能忠敬物語-」です。志の輔はたまたま千葉県香取市にある伊能忠敬記念館を訪れて、館内の展示で忠敬が作った日本地図を見たそうです。このとき、忠敬が地図を作ったのは人工衛星もドローンもない時代なのに、とても正確に作られていたことへ鳥肌が立ったと語っています。