良美さんは先に歌手デビューしていた岩崎宏美さんの妹として鳴り物入りで1980年にデビューしました。宏美さんに負けない歌唱力が評価され『NHK紅白歌合戦』にも出演しましたが、シングルがいまひとつヒットしない。そんな悩ましい日々の中で出会ったのがアニメ『タッチ』の主題歌であるこの曲だったわけです。「タッチ」はオリコンウィークリーランキングで最高12位、1985年度の年間ランキングでも39位というヒットを収めました。
【橋本】 確かにヒットですが、私は「タッチ」はアニメソングの歴史でトップ5に入るくらいの大ヒットだと思っていました。なのに、ウイークリーランキングでは最高12位止まりだったんですね……。
【中将】 いい指摘だと思います。当時のアニメソングはヒットしても急浮上はせず、トップ10位に入ることは極めて稀だったんですね。購買層が若かったことなどいろんな要因があるとは思いますが……。
ともあれアニメの世界観を生き生きと表現した「タッチ」はロングヒットとなり、現代でも多くの人に愛されています。良美さん自身もこの曲以降、「愛がひとりぼっち」(1985)、「情熱物語」(1987)などアニメ『タッチ』シリーズの主題歌をいくつもヒットさせ、歌手としての地位を確立されました。
【橋本】 まさにこの曲との出会いが良美さんの人生を変えたんですね!
【中将】 その通りです。タッチシリーズ以外にもとってもいい曲が多いので、「タッチ」に興味を持った人にはぜひいろいろと聴いてほしいですね。
イメージは180度変わっちゃいますが、やしきたかじんさんもアニメソングとの出会いで人生が変わった人の1人です。1981年に放映された劇場版『機動戦士ガンダム』のイメージソング「砂の十字架」(1981)がたかじんさんにとって初のヒット曲。
【橋本】 たかじんさんがガンダムの曲を歌ってるなんて意外でした!
【中将】 晩年は政治色の強い情報番組の司会者として有名だったたかじんさんですが、そもそもはシンガーソングライター出身です。1971年に「娼婦和子」でデビューするも内容が問題視されて発売中止に。1976年に「ゆめいらんかね」で再デビューして実力は認められていたんですが、なかなかヒットが出ませんでした。
そんな中、当時たかじんさんを担当していたレコード会社のディレクターが上司に「たかじんにレコードを出させてください」と土下座しながら直訴し、その結果、劇場版『機動戦士ガンダム』のイメージソングとして制作されたのがこの曲なんです。ところが、たかじんさんはこの仕事に難色を示しました。