次にご紹介するのもそんな流れの中から生まれた曲です。BORO「大阪で生まれた女」(1979)。
【橋本】 この曲は私たちの世代でも有名だと思います!
【中将】 当時、BOROさんは北新地のナイトクラブを中心に弾き語りの活動をしていたそうですが。この曲は若いお客からの「自分たちが歌える大阪の歌がない」という声にこたえる形で作られたそうです。
【橋本】 なるほど! でも北新地ってあんまり弾き語りとかやってるイメージがありませんでした……。
【準子ママ】 今は飲食店の音楽と言えば有線やカラオケが主流になりましたけど、昔は北新地も生演奏のできるお店が多かったんです。プロの人はもちろん、楽器をさわれる人が気軽にピアノやギターを演奏できるような。
【中将】 昔は生演奏が街にあふれていたんです。そういう素地があったから昭和時代には大阪をはじめ土地土地の人の心を反映した名曲が生まれたという面もあったかもしれませんね。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2022年7月10日放送回より)