当然、これまでの体制派からみれば、新教徒たちの改革運動は反体制運動でもあります。このことで、1562年から1598年にかけて、ユグノー戦争が起きることになったのです。時計職人たちは宗教改革の革新的な地域で「働くことが天職」と肯定され、繁栄してきました。しかし宗教弾圧の波によって、働いていた地域は追われることになります。
◆ユグノーがスイス時計界の礎に?
宗教弾圧が激しくなり、追われるようにフランス国境を越えてカルヴァン派の本拠地であったスイスのフランス語圏であるジュネーブ近郊、国境の町ラ・ショードフォンやル・ロックルに亡命しました。
現代の時計産業の中心地スイスのジュネーブ近郊では、当時はまだ宝飾細工が産業の中心で、時計のような実用品を手がける人はいませんでした。また越境して来たユグノー派の時計職人たちは宝飾品をローマ教会堕落の象徴としてそれらを造ろうとしなかったそうです。
そのため16世紀末時点でもスイスはまだ世界の時計産業の中心とは言えず、本格的な時計王国になるには18世紀から19世紀まで待たなければいけません。しかしユグノーの時計職人たちが越境した事でこのスイスの地に時計製造の礎ができたことは間違いありません。
ユグノーの時計職人とジュネーブに居た彫金師たちは16世紀頃までは宝飾時計は少ない需要ながら造り続けていたはずです。現在のジュネーブ発祥の時計ブランドに宝飾で彩ったハンドクラフト(手作業の工芸品)時計が、必ずあるのは当時の名残りだと想像できます。
◆多くの国と国境を接するスイスならでは
スイスは言語としてフランス語、ドイツ語、イタリア語があり英語も公用語として45%の国民が使用していることが特徴です。これらの分布は国境を接する地域によって分かれています。