1467(応仁元)年に始まった「応仁の乱」以前から祇園祭の山鉾巡行に参加していた鷹山は、15世紀には”鷹つかい山”としてその名が記されているという長い歴史を持つ。
もともとは人が担いで巡行していたというが、江戸時代には大きな車輪が付けられて曳行されるようになった。1788(天明8)年に京都を襲った「天明の大火」で被災するが、18世紀末には豪壮な大屋根を乗せた姿で再興された。
その後、つらい歴史をたどることになる。19世紀初頭に風水害により大破、さらに禁門の変(蛤御門の変)で発生した火事によって山の部品のほとんどを焼失。この時、代々鷹山に飾られてきた「鷹匠」「犬飼」「樽負」の3体の人形は焼失を免れた。その後鷹山では、祇園祭・山鉾巡行の前夜祭である宵山に、この人形を飾り、祭に参加してきた歴史がある。
平成になり、2012年ごろから鷹山復興の機運が生まれ、2014年にはお囃子の復興が始まり、オリジナルのものも作られた。鷹山の復興を目指してきた保存会では、古い文献や絵画資料を探し、かつての鷹山の姿を復元する作業を進め、2019年には、鷹山の宝物を入れた唐櫃を担ぎ、お囃子を奏でながら山鉾巡行の列に徒歩で加わる「唐櫃巡行」を行ない、その機運を盛り上げてきた。
しかし、新型コロナウイルス禍で、2020年・21年は山鉾巡行自体が中止に。本来「疫病退散」への祈りを起源とする祇園祭は、ハイライトなく粛々と行われた。