山鉾は町中をめぐり疫病神を集めるとされることから、巡行が終わるとすぐに解体される。毎年、祇園祭が始まる季節に一(いち)から組み立てる必要があるため、技術の継承が途切れると、10年先、20年先に影響が出る。それだけに各保存会の焦りは大きかった。
2年連続で中止となった2021年には、 慣例の所作や段取りを継承するため、巡行する代わりに各保存会の代表者が練り歩くことになり、その順番を決めるための恒例の「くじ取り式」を開いたほどだった。
■山鉾の復活、そのたびに感じる”強さ”
京都はたびたび戦火にみまわれ、その影響は祇園祭の山鉾にも及んだ。特に幕末の禁門の変(蛤御門の変)では、鷹山のみならず、京都の市街地が大火に遭い、多くの山鉾が焼失した。町衆は少しずつ山鉾を復興させてきたが、全ての山鉾が復興するまでには長い年月を要した。
菊水鉾はそれから90年を経た1953(昭和28年)に復興され、「昭和の鉾」と呼ばれ戦後復興のシンボルに。
1979(昭和54)年には綾傘鉾、1981(昭和56)年には蟷螂山、1988(昭和63)年には四条傘鉾がそれぞれ復興されて巡行の列に加わった。2014(平成26年)には大船鉾が復活して、東日本大震災で沈んだムードを払拭する、明るい話題を届けた。
そして2022(令和4)年、3年ぶりの巡行再開。コロナ禍で打ちひしがれた私たちの前に、約200年ぶりに鷹山が帰ってきた。鷹山の復帰で、江戸時代後期に巡行していた34基の山鉾が全て復興を終えたことになる。
京都文化博物館では、後祭・山鉾巡行終了後も、真夏の京都でその余韻に浸ってもらうべく、この展覧会を開催している。