「尼将軍」北条政子ゆかりの世界遺産・金剛三昧院 高野山最古の国宝・多宝塔内部、政子の書状など公開 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「尼将軍」北条政子ゆかりの世界遺産・金剛三昧院 高野山最古の国宝・多宝塔内部、政子の書状など公開

LINEで送る

この記事の写真を見る(12枚)

 金剛三昧院はこうして将軍家の菩提寺となり、北条・足利・安達など鎌倉幕府の有力な武家が帰依した。寺領(お寺の所有敷地)も高野山内で一番多く、幕府と高野山とを結ぶ寺院であったため、高野山の中心的寺院の役割を担った。同時に、大寺院などが自衛のために武装して僧兵集団を形成した時代で、高野山で監視的な役割を担ったという言い伝えもある。

僧侶が本坊から多宝塔へ <2022年10月・重要文化財「経蔵」落慶法要>
グリーンアーティスト・尾藤祐子氏による展示「時の瞑想」の中を練り歩き多宝塔へ <2022年10月・重要文化財「経蔵」落慶法要>

■「後家の力」に見る鎌倉時代の女性の位置づけ

 坂口准教授は「武家政権では男性社会というイメージを持たれがちだが、実は女性の存在感が重要だ」と見る。江戸時代と異なり、鎌倉時代は武家での「後家(ごけ・未亡人)」の裁量権が大きかったという。そして、夫・頼朝亡き後、北条義時が幕府で力を振るうようになったのは、義時が政子の弟だったことが大きいと指摘する。これを「後家の力」と称する歴史研究家もいるほどで、女性はあなどれない存在だったという。

 こうしたことから、「鎌倉時代での女性の位置づけは、室町後期から戦国時代、江戸時代の武家社会のイメージでとらえると理解し難い」と話す。

シンポジウム「鎌倉武士をめぐる文化と宗教」、講演会「北条政子と高野山」も開かれた 鎌倉から訪れた女性は「ここ(高野山)でしか感じることができない空間で、政子の思いを知った」と話した<※左端が坂口准教授 2022年10月8日>
「徒然草」に見る鎌倉幕府の有力御家人・安達泰盛がが乗馬の心得を諭した場面 泰時は他の追随を許さない腕前の馬乗りだった<※許可を得て撮影しています>

 金剛三昧院・本坊では「秋の特別拝観」として、北条政子の書状など寺宝が特別展示されている(~11月27日)。

鎌倉幕府が金剛三昧院に建立した大仏殿(現存せず)について記した文書 最も大きな花押(画像右下)は、足利尊氏の”花押影”(花押の形を写したもの)以前は、尊氏本人のものと考えられていたが、筆勢が弱く、室町後期の写しとみられる<※許可を得て撮影しています>
「金銅製宝冠」(室町時代前期) 頭頂に香水こうずい を注ぎ、仏の位を継承させる密教の儀式「灌頂」で用いる冠 金剛三昧院でも行われていたことを示す<※許可を得て撮影しています>

拝観時間は8時~17時(※平日の拝観料は300円)

■多宝塔特別拝観<2022年12月18日までの土曜・日曜・祝日>
拝観料500円

■特別拝観(寺宝展示)<2022年11月27日まで>
拝観料800円

中世から近世にかけての金剛峯寺や塔頭寺院の出版物「高野版 」と「版木」梵字の“吽(ウン)”の字形と意味を説いたもの<※許可を得て撮影しています>
「白澤図」(江戸時代後期・狩野集信筆)中国に伝わる聖獣で、時の為政者が有徳であれば姿をみせたと言われる  日本でも病魔除けてして信仰された<※許可を得て撮影しています>

◆世界遺産高野山 金剛三昧院
【公式サイト】
【公式Facebook】

LINEで送る

関連記事