沢田研二「TOKIO」から吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」まで…大都会へのあこがれと挫折を歌った東京ソングたち | ラジトピ ラジオ関西トピックス

沢田研二「TOKIO」から吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」まで…大都会へのあこがれと挫折を歌った東京ソングたち

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 日本には古くから東京を歌った歌が存在しました。東京は都会、近代化の象徴。東京は人々にとってあこがれの対象、夢の舞台であると同時に出会いと別れの場、苦い挫折の場でもありました。今回はそんな東京について歌った昭和の楽曲たちについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。

人々が東京に抱いた悲喜こもごもを映した東京ソングたち(※写真はイメージです)

【中将タカノリ(以下「中将」)】 今回のテーマは東京ソング! 東京へのあこがれと挫折を歌った昭和の東京ソングたちを紹介していきたいと思います。

【橋本菜津美(以下「橋本」)】 東京って私たち関西人から見ると特別な存在ですよね。

【中将】 特に音楽や芸能の世界は若くして東京に移り住む人が多いですからね。僕たちはそんな姿をずっと見送り続けているわけですが……(笑)。

 ともあれ多くの人々にとって東京はあこがれの街。東京について歌った曲はそれこそ江戸時代から存在しましたが、昭和になってポップス、歌謡曲のスタイルが確立されるとさらに数多のに東京ソングが誕生するようになります。藤山一郎さんの「東京ラプソディー」(1936)なんてその時期の代表的東京ソングですよね。

【橋本】 サウンド、歌い方、すべてにおいて時代を感じますが、これが昭和モダンだったんですね!

【中将】 はい、当時の若者にとってはこれが最新のダンスナンバーだったわけです。銀座、神田、浅草、新宿など当時の繁華街を舞台に、「ジャズで踊ってリキュルで更けて♪」だから当時としたらけっこうな不良ソングなんですよね。東京と地方の格差が大きな時代だったから、これを聴いて都会にあこがれた人も多かったと思います。

【橋本】 東京が今よりもはるかに都会になイメージだったんですね。

【中将】 時代を進めて、次にお届けするのは1980年、バブル景気に突入前夜の東京を歌った曲です。沢田研二さんで「TOKIO」。

【橋本】 これはもうみんな知ってる曲ですよね。でもなんで「TOKYO」じゃなくて「TOKIO」なんですか?

【中将】 作詞を担当したコピーライターの糸井重里さんが当時、フランスを訪れたんだけど、空港かなんかのアナウンスで東京を「トキオ」って発音してるのを聞いて「これだ!」と思ったそうです。

【橋本】 なるほど! その感覚がヒット曲を産み出したわけですね。

【中将】 この曲は1980(昭和55)年の1月1日リリース。1980年代の幕開けになった曲なんです。普通、お正月にレコードなんか買いに行きにくいから避けそうなもんだけど、それを押してあえて「これが1980年代だ!」と打ち出したわけですね。それだけ当時の沢田さんが時代をリードする存在で、かつ東京という街が「空を飛ぶ」ようなスーパーシティーだったわけですね。

【橋本】 この曲は1980年当時の勢いある東京を象徴するような曲だったんですね。背景を知るとさらにカッコよく思えてきました。

【中将】 サウンドも最先端のテクノサウンドを取り入れてるし、衣装はパラシュートを背負っちゃうし(笑)。


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