昭和の時代、多くの映画館に掲げられていた“手描き”の映画看板。当時、新作の映画を観る高揚感をさらに高める役割を担っていたのではないでしょうか。今ではほとんど消えてしまった手描き映画看板ですが、現在も制作を続けている人が唯一大阪にいます。今年で43年、現役で制作を続ける八條工房(大阪市西成区)の映画絵アーティスト・八条祥治さんに話を聞きました。
――映画看板を描き始めたきっかけは?
【八条さん】 1980年に父親が映画看板の制作会社から独立し、映画館の手描き看板の仕事を引き継ぐことになりました。当時私は別の企業に勤めていたのですが、長男だったこともあり家業を手伝うことになったんです。
僕たちの仕事は“描く”だけではなく、看板を取り付ける作業も含まれる。大きな看板を運ぶためにトラックを運転する必要があったのですが、父親は免許を持っていなかったので手伝うことになったんです(笑)。
――当時はどのくらい映画看板を制作していた?
【八条さん】 梅田、道頓堀、千日前、それから和歌山などにある映画館の看板を作っていました。週に描く枚数というのは決まっていなくて、お客さんの動員数によって変わるんです。入りの悪い映画はすぐに看板の発注が来る。逆に、人気の映画は2〜3か月は上映されますから看板はそのままでした。
難易度にもよるのですが、1枚の看板を作るのに大体2日かかる。当時は大忙しでしたよ(笑)。
――お客さんからの評判は?