■気持ちを新たにする「1.17」
2011年3月11日、東日本大震災が起きた時は14歳。神戸にいた。2018年6月18日の大阪北部地震は大学4年時、関東で知った。神戸に生まれ育ち、阪神・淡路大震災の“生き証人”に接し、“生きた教材”にすぐ手が届くとはいえ、実体験がないために何気ない日常、当たり前と思っている日々がほんとうの幸せだ、ということも忘れてしまうことがある。
だからこそ、毎年「1.17」を迎えるたびに、当たり前に日常生活を送っている今の自分は幸せだということに気づく、今の神戸があることに対する感謝の気持ちを思い出せる。「神戸の子どもたちは、1.17に自分自身を見つめなおす」。これは曽我さんが26歳になった今も変わらない。
同時に、阪神・淡路大震災を未来へ語り継ぐ年齢、立場になりつつあることも感じるようになった。小学校から高校までは、受け身で震災を学ぶ立場だった。その後関東の大学に通い、震災についてメディア報道を通じて見聞きする程度になったことに気付き、「このままでいいのだろうか」という疑問がしだいに芽生えた。
■神戸に引き寄せる“横糸の線”
進学した関東の大学では、東日本大震災を経験した友人が多く、阪神・淡路大震災の印象は薄かった。震災がきっかけで生まれた歌「しあわせ運べるように」(2021年には第二の神戸市歌に)を耳にする機会もなかった。神戸で迎える1.17と違い、心のなかでそっと手を合わせるような感覚だった。この時から、「大学を卒業したら神戸に戻ってくるんだ」という気持ちになっていく。就職は故郷・神戸で。そして、もう一つの理由があった。