乗客106人が死亡、562人が負傷したJR福知山線脱線事故(兵庫県尼崎市)は、25日で18年を迎える。
事故を語り継ぎ、風化を防ぐために事故現場の周辺をめぐる「メモリアルウオーク」が兵庫県尼崎市で開かれ、約30人が参加した。
ウォークは「JR福知山線事故・負傷者と家族等の会」が主催。1995(平成7)年に起きた地下鉄サリン事件の被害者を支援するグループの取り組みを参考に、2010(平成22)年に始まった。
その後、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020(令和2)年は中止、21年は関係者のみで行い、22年からは一般参加を再開し、13回目となった。
参加者は福知山線の線路沿いを歩き、事故現場の慰霊施設「祈りの杜」(尼崎市久々知)が視野に入ると、通過する列車と建物が交差する光景を眼に焼き付けた。
そして、「祈りの杜」では1人ひとりが白いカーネーションを慰霊碑に手向け、列車が衝突した痕跡が残る場所の前に立ち、それぞれが事故を忘れまいと誓った。
当時、3両目の車両に乗っていた妻が重傷を負った会のメンバー、中島正人さんは、「記憶が薄れ、風化しているのをひしひしと感じる。私たちは『あの日を繰り返さない』という思いと『安全な社会を実現したい』という願いで続けてきた。負傷者にとっての18年は、けがと向き合って生きて行く進行形だが、遺族の18年は、事故が起きた時のまま、時間が止まっているということを知ってほしい。そして、事故はいつ、どこで起きるかわからないということを、若い世代の方々にも伝えていかねばと思う」と語る。
2両目に乗っていた次女が重傷を負い、会を支援する三井ハルコさんは、初めて参加した次女と歩きながら、事故後の思いなどを話す中、初めて耳にする話もあったという。そして、「18年という歳月が、事故そのものを忘れさせてしまうのではという危惧がある。参加者の皆さんと一緒に歩くことで、『ここで何が起こったのか、それが後にどういう影響を及ぼしたか』ということを知ってもらい、一緒に見て、一緒に伝えていきたい。1985(昭和60)年の日航機墜落事故や、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災も、当事者は伝え続ける重要性を考えている。コロナ禍でこうした活動がストップしたかに見えるが、オンラインでも伝えることができることを知り、語り継ぐ選択肢が広がったと思う」と話した。