―――どのようなシステムだった?
【大塚さん】 人によってさまざまでしたが、基本的にはお菓子を買った子どもが紙芝居を見ることができるというシステムが主でした。お菓子を買った子は紙芝居を正面から見ることができ、買わなかった子は少し離れた場所、もしくは紙芝居の裏から話を聞くだけということが多かったですね。なかには、お菓子を買わない子にも見せてあげる語り部さんもいたようです。
紙芝居の読み聞かせは毎日行われていたので、同じ物語ばかりでは子どもたちが飽きてしまう。なので、連載するような形で「話の続きはまた明日!」と、飽きさせないような工夫もしていました。
―――子どもたちにとってどのような存在だった?
【大塚さん】 当時の子どもたちにとっては紙芝居を見てお菓子を食べるというのが、遊びのひとつだったのだと思います。一見お菓子が主役のように思うのですが、紙芝居が始まると子どもたちも食い入るように物語に入り込んでいきます。今と違い、当時はゲームなどもなく遊びの種類が少なかったうえに、甘いものが少なかったために甘いお菓子が人気だった。そのような背景から子どもたちにも受け入れられたのだと思います。
―――1日に何件ほど回る?
【大塚さん】 最盛期に人気のあった紙芝居屋さんは、朝から街灯がつく日暮れまでに数十件回っていたそうです。子どもをメインにしていたので、やはり人が多い都会で行う方が多かったです。
紙芝居屋さんにも所場(しょば)と呼ばれる縄張りみたいなものがあったため、地域の子どもたちが見る語り部さんは大抵同じ人で、決まった時間・場所に来る。たとえば、「月曜日と水曜日の16時ごろになるとこの場所に紙芝居のおじさんが来る」という感じで子どもたちも把握していました。
―――街頭紙芝居が減ってしまった原因は?
【大塚さん】 高度経済成長が大きな要因だと思います。高度経済成長期に入り、家でテレビを見たり、塾に行くなど、子どもたちが忙しくなってしまいました。そのほかにも、道路交通法をはじめとしたさまざまな法整備の影響により、街頭や公園などで以前ほど自由に紙芝居をすることができなくなってしまったのも要因だと思います。