◇民衆娯楽の理想郷 宝塚
そして、小林一三が「民衆娯楽の理想郷」として最も開発に力を注いだ宝塚(兵庫県宝塚市)を、一大遊園地とする原型ができたのも、「モダン」が流行したこの時期だった。温泉や大劇場、映画館、植物園に野球場…その中心は「宝塚少女歌劇(のちの宝塚歌劇)」。四千人を収容する宝塚大劇場ではシャンソンやジャズが鳴り響き、ラジオ放送やレコードにのって時代を席巻する。
阪急沿線を飛び出して東京宝塚劇場が開場するのは1934(昭和9)年で、関西からひとつの文化を発信する大きな契機となった。展示では、少女歌劇時代、ファンの女性向けに化粧品などの広告とタイアップしたポスター、脚本集や楽譜集の表紙を飾るイラストにも「モダン」を感じさせる。
このほか、沿線には自然に親しむハイキングにうってつけの六甲や箕面、現在も多くの参拝者が訪れる清荒神清澄寺、中山寺(兵庫県宝塚市)・能勢妙見(大阪府能勢町)への案内広告もバリエーションに富んでいる。阪急神戸駅(三宮ビル)のジオラマや、1936(昭和11)年に開催された宝塚音楽歌劇学校の運動会の映像なども貴重。
逸翁美術館の正木喜勝学芸員は「当時のポスター、デザインや色合いが独特です。この時代の資料としては、白黒写真が多く、色付きのものが少ないだけに貴重です。また、宝塚少女歌劇のポスターは、ほかのポスターとは異なり、衣装もきらびやかに描かれ、とても美しいですね。小林一三は、『沿線に住む人々がいかに楽しんで過ごせるか』というテーマを根底に、さまざまな事業を生み出しました。これらは今の私たちの生活に直結したものばかりです。戦前の昭和を見れば、今の阪急沿線の原型や沿線に住む人々の暮らしぶりを身近に感じることができる。その時代に生きていなくても、『これ、見たことあるような気がする』と思わず声をあげそうな展示にしました」と話す。