明石市立文化博物館(兵庫県明石市)では、5月14日(日)まで、春季特別展「写真家が捉えた 昭和のこども」が開かれている。関係者らによる分かりやすい解説シリーズ「リモート・ミュージアム・トーク」の今回は、同館の学芸員、工藤克洋さんのお話。展示の内容や来場者の反応などについて教えてもらう。第2回は「カメラの歴史を体感しよう!」
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明石市立文化博物館では、春季特別展「写真家が捉えた 昭和のこども」が5月14日(日)まで開催中です。
展覧会開催にあわせ、カメラの歴史を体感できる特設コーナーを設けています。いつも持ち歩くスマートフォンにカメラが内蔵されているので、今日の我々にとってカメラはとても身近なものになっていますが、その最初の形や大きさの変遷をご存知ですか?
カメラの語源は、ラテン語の「カメラ・オブスクラ」とされており、意味は「暗い部屋」です。暗い部屋に、小さな穴を空けると、光が射し込み、穴から見える風景が反対の壁面に像として反転して映ります。カメラでさまざまなものが撮れるのは、この現象を発見したところにあります。
当館では高さ210センチメートルのカメラ・オブスクラを作りました。自身がカメラの中に入って、穴から射し込む光が像を結ぶ様を、その目で確かめることができるようになっています。
カメラ・オブスクラは、写生画を描くための装置として用いられました。カメラ・オブスクラに映る像を見ながら、17世紀のオランダ人画家のフェルメールは絵を描いたとされています。ただし、映った像のありのままを保存する、今日でいう「写真」にして残すことはできませんでした。
なんとかしてそれができないか。ニエプスというフランスの発明家が研究を重ね、銀メッキを塗った銅板に像が映ることを発見します。その後、ニエプスは亡くなってしまいますが、共同研究者だったダゲールが、写真が作れるカメラ・ダゲレオタイプを1839年に発売します。その時のカメラは30センチくらいの木箱でできていたと言われています。
カメラの大きさは小部屋から30センチになりました。ダンボール製のダゲレオタイプ型のカメラを作製してみましたので、カメラ・オブスクラと大きさを比較してみてください。ただし、今日われわれが使っているカメラは手のひらサイズですよね。スマホならズボンのポケットに入れて持ち歩くことも多いでしょう。30センチもあったカメラは、いつごろから今日のように小さくなったのでしょうか。