最盛期月650万部のメガヒット! 学習誌『学研の科学』 JAXAの宇宙飛行士候補生のきっかけにも | ラジトピ ラジオ関西トピックス

最盛期月650万部のメガヒット! 学習誌『学研の科学』 JAXAの宇宙飛行士候補生のきっかけにも

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 1963年から2010年の休刊に至るまで、47年という長きにわたって刊行されたふろく付き学年誌『1〜6年の科学』。カメラや顕微鏡など、理科の実験キットが付いた雑誌で、全盛期には日本の小学生の3人に2人が購読していたほどの人気ぶり。月に一度、学校で配られるふろくにワクワクしていた方も多いのではないでしょうか? そんな人気学習誌の制作秘話や裏話について、出版元である株式会社Gakken・科学創造研究所の西村さんと田中さんに話を聞きました。

ふろく付き第1号の『科学』
ふろく付き第1号の『科学』

―――刊行がスタートした経緯は?

【西村さん】 戦後間もない1957年に、小学校の各学年に向けてふろくの付いていない『科学』が発売されたのが始まりでした。戦後の日本を科学の力で発展させようという目的で施行された理科教育振興法のもと、日本の理科教育の一助となるように作られたのがこの『科学』でした。

しかし、子ども向けとはいえ専門誌であった『科学』は、発売から数年間はいつ廃刊になってもおかしくないという状況が続きました。そこで、起死回生の一手として社内から挙がったのが理科の実験や観察ができる「ふろくをつけたらどうか?」というアイデアでした。

発刊当初の『科学』
発刊当初の『科学』

今でこそ、ふろく付き雑誌は当たり前になっていますが、当時は紙製の付録こそありましたが、実験できるとなると、プラスチックや木、ガラスなどの付録が必要です。編集部では、本以外のものを作るなど、作り方もわからないし、あり得ないという考えが大半でした。それに加えてふろくのコストや輸送方法など、当時としては乗り越えなければならない課題が山積み。それでも当時は珍しかったトラック輸送による雑誌の配送を採用するなど、各署の社員の努力もあり、なんとか1963年に初めてのふろく付き科学誌『1〜6年の科学』が発刊されました。

最初期のふろくは、クロッカスの栽培セットや虫や小動物を解剖できる解剖器セット、鉱石の標本セットなどがあり、これが予想を大きく上回るほど売れて、当時はむしろ生産が間に合わないという状況にまでなりました。

第一号の6年生用ふろく「鉱物標本セット」
第一号の6年生用ふろく「鉱物標本セット」

―――“ふろく付き”が当時の子どもたちの心を掴んだのですね。その後の人気ぶりはどうだったのでしょうか?

【西村さん】 その後も着実に発行部数を伸ばし、70年代の終わりには姉妹誌である『学習』もあわせて月に650万部を販売する怪物雑誌にまで成長しました。数字のうえでは小学生の3人に2人が読んでいたことになります。雑誌は「3万部売れたらヒット」といわれている世界なので、そのすさまじさはお分かりいただけるかと思います。

『科学』全盛期の70年代、ちょうど私も小学生だったのですが、毎月の配布日はみんなが心待ちにしている一大イベントでしたし、当時なかなかおもちゃを買ってもらえない子どもたちにとっては、このふろくが唯一の遊び道具でした。親からしても、おもちゃとなると「遊び」のためのものですが、「科学」は教育のためのものだったので買い与えやすいと言う側面もあったのではないでしょうか。

当時は学校販売形式だったので毎月先生から配られる形でしたが、その後は通称「学研のおばちゃん」が各家庭に届ける方式に変わったりしているので、世代によって思い出はさまざまだろうと思います。

70年代に全盛期を迎えたあと、90年代に入っても依然として200万部が売れるほどの人気ぶりでしたが、2000年代に入って、子どもの遊びの多様化や少子化の影響もあり、2010年に惜しまれつつ休刊となりました。

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