最近は「ボール遊び」を禁止にする公園も増えたこともあり、街中で子どもたちが元気いっぱいボールで遊ぶ光景を見かけることも少なくなりました。
昭和の時代に幼少期を過ごした人の中には、当時楽しんでいたボール遊びに思いを馳せる人も多いでしょう。中でも、全国の子どもたちがこぞって楽しんでいた“とあるボール遊び”をご存知でしょうか?
その遊びとは、ボールと4人以上のメンバーさえ確保できればプレイ可能というシンプルなもの。基本ルールは以下の通りです。
【1】地面に「田」の字のマスを描き、4人がそれぞれのマスに立つ。
【2】ボールを一度自分の陣地でワンバウンドさせたあと、他の陣地に向かって打つ。
【3】ラリーをミスしたら、場所を交代。1のエリアに立つ人がミスをしたら、2のエリア人と入れ替わり、2のエリアの人がミスをし たら3のエリアへ移動、3のエリア人がミスしたら4のエリアに移動する。
【4】ラリーを続け、最高ランクのマスである1を目指す(1に立っている人は、下のマスに落ちないようキープする)。
【5】中心にあるペナルティーゾーンにボールが入ると、罰を受けなければならない。
大雑把に表現するならば、素手でプレイするテニスや卓球のようなこの遊び。ルールを見れば「昔やったことがある!」とピンときた人もいるのでは? 実はこのゲーム、各地で遊ばれているのですが名称が地域によってバラバラなのです。
昭和の文化や芸能について深堀りするサイト「まぼろしチャンネル」上で、この遊びについてリサーチしていたアカデミア青木さんは「私が小学生だった昭和40年代後半には『大学おとし』という名前で休み時間に流行していました」と言います。
「大学おとし」の場合は、マス目が大学・高校・中学・小学という順番になっており、大学でミスした場合は高校と入れ替わり、最も下のランク(ゲーム上で)の小学に落ちないようラリーを続けるというルールになっています(5人以上の場合は小学の下に幼稚園が追加される)。
「昭和54年に発行された『あそび宝鑑』(菅原道彦編)という本によると、この遊びは山陰地方や北陸地方をのぞき、東京から四国地方まで幅広く遊ばれていたとされています。東京近辺では『大学おとし』や『大高中小』という名前が主流でした」(青木さん)
ほかにも岐阜の「元大中小(元帥、大将、中将、少将)」をはじめ、「してん」「がんばこ」「ドッジピンポン(ピンポンドッジ)」など名称はじつにさまざま。それに伴いペナルティーエリアの名称も異なり「どぼん」や「がんばこ」といったものがあります。