北海道の定番お土産といえば、おいしい海産物やお菓子などさまざまですが、昔は『木彫りの熊』が定番だったそう。過去に大きな木彫りの熊をお土産にもらって置き場所に困った、という人もいるのではないでしょうか。当時、なぜ木彫りの熊がお土産の定番になったのか? その理由や歴史、特徴について、八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館(北海道二海郡)の学芸員・大谷茂之さんに話を聞きました。
―――木彫りの熊はいつからある?
【大谷さん】 北海道では1924年に八雲町で始まったとされています。来年で誕生から100周年になります。
―――なぜ八雲町で?
【大谷さん】 そもそも八雲町は明治維新後に尾張徳川家の旧家臣団が移住した土地で、畑や市街地、徳川農場が作られました。農場主は尾張徳川家の当主が務め、さまざまな施策が講じられました。
第19代の徳川義親(よしちか)は第一次世界大戦後の不況で苦労する様子を見て、ヨーロッパの視察旅行の際に見た酪農を八雲ですすめるとともに、スイスで見かけた土産品の木彫り熊を含んだ「木彫品(ペザントアート)」を八雲でも作ることをすすめます。これは農作業ができない冬の副業として、そして木彫という芸術をたしなむことで農民たちに豊かな心を持ってもらおうという考えから導入されました。木彫のなかでも熊が最も八雲らしいということから木彫り熊がどんどん作られ、戦前の八雲には30人ほどの作り手がいました。
―――アイヌにも木彫りのイメージがあるが、木彫りの熊は作っていなかった?
【大谷さん】 昔からアイヌの男性は木彫りを得意としていました。「サパンペ(冠)」などの道具に熊の頭を彫ることはありましたが、人や熊などを単体で彫るということはめったにありませんでした。
明治時代を迎えると本州から多くの人々が北海道に入るようになり、その後、大正時代末期には徐々に新しい文化に適応していったアイヌの人々も熊を彫るようになったと考えられています。旭川では、1926年以降にアイヌによって作られた木彫りの熊がはじまりだといわれています。
―――なぜ北海道全体で作られるようになった?
【大谷さん】 過去に2回あった“北海道観光ブーム”が大きな要因です。
1度目は阿寒湖(釧路市北部)と大雪山(北海道中央部に位置する巨大な山塊)が国立指定公園に指定された1935(昭和10)年ごろの観光ブーム。当時すでに、八雲の木彫り熊は全道各地で売られていました。1932(昭和7)年には雑誌『アサヒグラフ』(朝日新聞社)で「北海道観光客が1番喜ぶ土産品は八雲の木彫熊である」と紹介されるほど有名になっており、「木彫り熊」というひとつのジャンルを作り上げていました。
同時期に旭川のアイヌが作った木彫り熊も多く出回るようになったそうで、第1次観光ブームが訪れた1935(昭和10)年には、八雲・旭川以外の地域でも木彫り熊が作られるようになったそうです。
1960年代ごろに訪れた2度目の観光ブームによって再び北海道に人がたくさん集まるようになり、木彫り熊はさらに有名になりました。このころには土産品としての需要が高まっていたことから、旭川や札幌などの地域で作られたものがほとんどでした。当時八雲には製作者が数人しかおらず、製作できる数も限られていたために全道的には八雲の木彫り熊はほとんどなかったようです。