―――当時、なぜ木彫り熊がお土産品として売れた?
【大谷さん】 今でこそ冷凍した海産物などを送ることができますが、当時はまだ冷蔵庫や宅急便なども普及していなかった時代なので、“腐らないもの”というのが重要だったのだと思います。
そのころにはアイヌの人々が作った木彫りの熊が一般的になっていたことから、より北海道らしいお土産品として人気になったのだと思います。
また、昔は新婚旅行に行くときの餞別(せんべつ)としていくらかのお金をもらうという文化がありました。その餞別返しのお土産としても人気があったそうです。
―――鮭をくわえている熊が印象的ですが、ほかにはどんなものがある?
【大谷さん】 木彫りの熊というと「鮭をくわえている熊」をイメージする方が多いと思いますが、戦前は八雲でも旭川でもあまり作っていなかったそうなんです。有名になるのは戦後なのですが、なぜ・どこで出てきたかというのはよく分かっていないのです。
八雲町では1928(昭和3)年の時点で、四つ足で地をはっているもの・仁王立ちをしているものなどのシンプルなデザインだけでなく、鮭を背負っているもの・バットを振っているものなど、約30種類が作られていました。学校で授業を受けていたり、音楽会やスキーをしているなどの人間らしい姿をした熊の製作も当初から行われていました。
ほかにも、灰皿としても使えるような実用的な木彫りも作られていました。
―――お土産の定番として絶対的な商品だったのはいつごろまで?
【大谷さん】 昭和後半まではかなり人気があったようですが、昭和末期・平成初期には陰りが見え始めていたようです。平成に入ってからは、海産物やお菓子などの食べられるものが定番になったことで、木彫り熊など形に残るものの人気がなくなってしまったのかなと思います。しかし、平成末期から再び木彫り熊ブームが訪れているような感じはしていますね。
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大谷さんの言葉の通り、木彫りの熊は平成末期ごろから再び人気になってきており、ここ2~3年はインテリアとしても使える小さめのサイズが特に人気なんだとか。第3次ブームが訪れている現在、大谷さんは「木彫り熊はアイヌの人々と和人(アイヌ以外の日本人)の両方が一緒に取り組んできた“北海道の文化”なので、それを今後も残していくことができれば」と語りました。
自然、海鮮、果物、お菓子など魅力の多い北海道ですが、旅行に行く際には「木彫りの熊」に注目してみるのもいいのではないでしょうか。
※ラジオ関西『Clip』2023年5月18日放送回より
(取材・文=濱田象太朗)