昭和のお土産の大定番としても知られる「ペナント」。旅行の思い出に、あの二等辺三角形の旗を買って帰ったという人も多いのではないでしょうか? かつてはどのお土産屋さんでも目にしたものですが、最近はめっきり見かける機会も減ってしまいました。
そんなペナントの歴史と現在について、日本で初めてのお土産用ペナントを作った株式会社間タオル(神奈川県鎌倉市)の代表取締役・間隆浩さんに話を聞きました。
―――お土産用のペナントが生まれた経緯は?
【間さん】 ペナントとは、アメリカの船につけられていた三角形の旗のこと。戦後の日本では、野球場にかかげられていたことから一般の方に知られたのではないかと思います。若い人は知らないかもしれませんが、野球の「ペナントレース」という言葉もここからきています。そのペナントに目を付けたのが、先代である私の父でした。
弊社はもともと、戦後アメリカから入ってきた「タオル」に目を付けた父が1956年に創業しました。創業から3年目、当時まだ会社も安定しなかった時期に大の巨人ファンでもあった父が球場にはためく優勝ペナントを見て、「ペナントに観光地のイラストを入れたら流行するのではないか」と思いついたといいます。
しかし、創業3年目の若社長に「お土産用のペナントを作りたい」と言われてお金を貸してくれるようなところもなく、当時はかなり苦労したと聞いています。それでも何とかいろいろなところから資金を集めて、第一弾として当時完成間近だった東京タワーをあしらったペナントを作りました。
―――まさに社運を賭けたチャレンジだったのですね。売れ行きはどうだったのでしょうか?
【間さん】 当時は1950年代後半。江の島や鎌倉が観光地として大ブームし、そのブームはやがて全国各地へと波及。空前の国内旅行ブームが到来しました。その後押しもあり、第一弾として生まれた東京タワーペナントはまさに爆売れでした。北は北海道から南は九州まで、全国各地の観光地から製作の依頼が殺到。社内だけでも月に数万枚を製造していましたが、それでも注文に間に合わないほどでした。