ちなみに『山容水態』は、現在阪急電鉄が発行し、昨年(2022年)に創刊50周年を迎えた『TOKK(トック)』の源流とイメージするとわかりやすいかも知れない。
一三は1890(明治23)年、慶応在学中の17歳で、故郷の山梨日日新聞に、東京で実際に起きた殺人事件に着想を得た恋愛推理小説『練絲痕(れんしこん)』の連載を始める。
当時“怪事件”とされ、事件発覚10日後、真犯人も捕まらないうちに小説として発表されたことが、「事件の内情を知る者による小説か」と捜査当局に疑われ、連載打ち切りとなった。
一三はその後も紀行文などを執筆し、物語の舞台は関西へ移る。1908(明治41)年、大阪日報に掲載された『上方是非録』は、江戸っ子の新聞記者が転勤を命じられて大阪に赴任、東京の目で大阪の人々や風俗を観察しながら、どっぷりとはまっていくというストーリーだ。
そして1916(大正5)年には花柳界を描いた『曽根崎情話』などに続く。このほか、1915(大正4)年の『歌劇日本武尊(やまとたけるのみこと)推敲』も興味深く、宝塚少女歌劇秋季公演・一演目として上演されている。
一三は19歳で慶應義塾を卒業し、三井銀行(当時)に入り、大阪支店などに赴任。1907年に三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚線・箕面線)を創立した。