昭和の木造建築に見事にマッチした「昭和ガラス」。 昭和40年代ごろから量産されるようになり、星型や竹型など、そのデザインパターンは数十種類にもなるのだとか。そんな懐かしの昭和ガラスをお皿やランプシェードなどにリメイクして話題になった、旭屋硝子店(神戸市長田区)の古舘(こやかた)さんに話を聞きました。
―――なぜ昭和のガラスには模様があった?
【古舘さん】 昭和のガラスにはデザインが施されていているというイメージがあると思うのですが、それらの多くがガラスの片面に模様を付けた「型板ガラス」と呼ばれるものです。ほかにも、住宅では表面が白くなっている「すりガラス」なども使われていました。
特に多く使われていた型板ガラスには「プライバシーを守る」という側面もありましたが、国内に活気が出て豊かな生活ができるようになってきた高度経済成長ならではの「遊び心」もあったのだと思います。「プライバシーを守るためのガラスにもデザインをして遊ぼう」という感じだったのでしょうね。
―――どこで作られていた?
【古舘さん】 日本のガラス3大メーカーである「セントラル硝子」「旭硝子」「日本板硝子」でデザイン・製造されており、この3社が競い合っていろいろな柄を出していました。
―――特に人気だった柄は?
【古舘さん】「この柄が1番人気だった」みたいなことはあまりなかったのだと思います。3社が1年も経たないうちにどんどん新しいデザインを出すので、流行の移り変わりも早い。数年のうちに何十種類というデザインが次々に出てくるという時代でした。
―――当時はガラスの需要もあった?
【古舘さん】 ガラスの生産量も今とは比べものにならないくらい多かったと思います。住宅をはじめとした建物がどんどん建てられる高度経済成長期だったため、必然的に家庭用ガラスが必要になると同時に需要も高まっていました。
―――どのような場所で多く使われていた?
【古舘さん】 外に面しているガラスから住宅内のガラスまで、あらゆる窓で使われていました。そのころには、和風建築でも障子ではなく昭和ガラスを使った「ガラス障子」で部屋を間仕切りすることも多くなっていました。
木の枠にはめるような住宅内では厚さ2ミリ、外に面する場所では厚さ4ミリのガラスを使うことが多かったです。実は、それぞれの厚さにしかないデザインもあったんですよ。
ほかにも、食器棚をはじめとした家具にも使われていました。当時は、透明のガラスよりも型板ガラスのほうが多く使われていたのだと思います。