レコ大、紅白、ベストテン…沢田研二の全盛期を支えたマネージャーが語る、昭和歌謡黄金期ジュリー秘話 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

レコ大、紅白、ベストテン…沢田研二の全盛期を支えたマネージャーが語る、昭和歌謡黄金期ジュリー秘話

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【中将】 沢田さんは『勝手にしやがれ』のヒットをどう受け止めておられたんでしょうか?

【森本さん】 レコード大賞が決まって、僕が「おめでとうございます」と言うと、「てめえ、この野郎! 頂点に行ったらあとは落ちるしかないんだから、マネージャーなら次の年のことを考えておけ!」と怒られてしまいました。念願のレコード大賞を獲ったのに全然喜べなくて……本当にジュリーは変わった人ですよ(笑)。

 それで僕も意地になって……当時はレコード大賞は大晦日の20時(午後8時)55分まで、NHK紅白歌合戦が21時(午後9時)からと、隙間がたった5分しかなかったんですが、必死で急いでオープニングに間に合わせましたよ。みんな「パトカーが先導したんですか?」とか言うんだけど、普通にタクシーで向かいました。運良く信号も全部青で、「天下取る男はツキが違うな」なんて思いながらNHKホールに向かったのを覚えています。

【橋本】 すごいですね……。

【森本さん】 その後もいろいろ考えていて、紅白歌合戦が終わった後、ジュリーに「お疲れ様でした。来年は1日も休まないで仕事しましょう」と言いました。1978年は本当に365日働きましたよ。当時、毎日のようにあった歌番組には全部出たし、『ぴったしカン・カン』(TBS)とか本来、歌がない番組でも歌えるように交渉しました。

【中将】 1978年だと『サムライ』、『ダーリング』など、『ザ・ベストテン』(TBS)に出ている沢田さんが印象的ですね。

【森本さん】 1977年の紅白歌合戦の直後、TBSのプロデューサーがやってきて「今度、音楽番組をやろうと思っているんですが、沢田さんはどの曜日だったら出てくれますか?」と聞かれました。その番組こそが『ザ・ベストテン』だったんですね。

【橋本】 すごい! 『ザ・ベストテン』は沢田さんの都合に合わせて始まったんですね。

【森本さん】 はい、『ザ・ベストテン』の初回放送は1978年の1月19日、木曜21時(午後9時)から。僕がプロデューサーに「この日の木曜ならコンサート後に出演できると思います」と答えたのでこの日時に決まったのだと思います。それほど当時のジュリーには威力があったし、番組にも貢献はしたと思います。

 でもその後、番組は4分、5分のフルコーラス歌えないと出ないと主張するニューミュージックの歌手たちを起用するようになります。かたやジュリーは1コーラス1分30秒です。ランキング番組だから仕方ない部分もあるでしょうが、この時はジュリーも僕も怒りましたよ。「僕たちが盛り上げてきたから番組があるんじゃないか」と。

【中将】 沢田研二さんの全盛期到来に合わせて、歌謡曲の時代の終わりが始まりつつあったということでしょうか……。

(後半に続く)

■森本精人(もりもと・よしひと)
1946年生まれ。兵庫県丹波篠山市出身。 早稲田大学卒業後、渡辺プロダクションに入社。ザ・ピーナッツ、沢田研二らのマネジメントや、吉川晃司の育成に携わった後、1985年に芸能プロダクション・メリーゴーランド設立。玉山鉄二ら数々のタレントを手がけている。


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