その中で、敏さんがうれしくもあり、頼もしかったのは、気丈に振る舞う家族の姿だった。幼いころ、父親と死別した敏さん。父親の姿もあまり覚えていない。父親としてのふるまいも知らない。正子さんも同じ境遇だった。次女の結婚式では、「お父さん、世間一般の父親像がわからないから、お前に父親らしいことをしてやれていない」と謝ったという。
「僕は、家族に(辛さと苦しさを)背負わせたくなかったからね」。事件以来、将太さんを悼むことは当然のことながら、家族に向けて、敏さんから事件の話を切り出すことはなかった。血のつながった家族である以上、それぞれの思いがあることは、父親として十分わかっている。だから、その気持ちを自分の中ではぐくんでくれればという思いはあった。「僕は、残された息子や娘らが事件にこだわるよりも、それぞれの幸せを求めて、自分の生活、自分の人生を大事にしてほしいと思っているから」。
しかし、法廷では一枚岩だった。6月12日、一審の神戸地裁・第4回公判。遺族5人による意見陳述の日を迎え、敏さんは「誰からにしようか」と尋ねた。家族は皆、長男に目線を向けた。長男は「俺からやる」と意気込んだという。そして長女、次女、妻、最後に敏さんが法廷で訴えかけた。「子どもたちが率先して決めてくれた」。敏さんにとって意外な出来事だった。
遺族にとって、法廷での意見陳述は、遺族が事件を思い出し、取り乱したり、ふさぎ込んでしまうことも多いため、ためらうケースも多いという。しかし、迷いなく家族全員が意見陳述に臨んだ。
「家族力を見せてくれた」。敏さんにとって、大きな“気づき”だった。それが将太さんを失った代償ならば、あまりにも悲しいし、悔しいが、将太さんがつないだ家族の絆と信じたい。
一審というひとつのハードルを越えた。敏さんは犯罪被害者遺族として、これまで全国各地で「未解決事件」という観点で語りかけてきた。しかし犯人逮捕に接し、刑事裁判に参加した立場となった今は違う。さらに依頼が増えている。講演当日、朝9時40分の長距離バスに乗らなければならないのに、講演内容を6時過ぎまで練って、それでも時間が余ればと、あの日の意見陳述も用意して、「法廷での臨場感」と「遺族の本音」を伝えようとしたこともある。
事件から13年。男が逮捕されるまでの10年10か月は、気持ちが折れそうになった「第1章」。男が殺人罪で起訴されてから、捜査資料を体に染み込ませるように目を通し、来るべき刑事裁判に備えた「第2章」。男と向き合った刑事裁判が「第3章」ならば、次のフェーズはどう進むのか、との問いに敏さんはこう答えた。「当たり前のことだが、僕は遺族として、絶対にこの事件を忘れない。事件を忘れることは、将太を忘れることになるから。控訴審も“受けて立つ”」。犯罪被害者遺族として世間に発信し続ける原動力はここにある。