平安時代の『両界曼荼羅』、空海の書状『風信帖』…まもり伝えた寺宝 特別公開 東寺・宝物館 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

平安時代の『両界曼荼羅』、空海の書状『風信帖』…まもり伝えた寺宝 特別公開 東寺・宝物館

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 世界文化遺産・東寺(教王護国寺 京都市南区)宝物館で、真言宗立教開宗1200年を記念した特別展示「東寺の宝物をまもり伝える―修理の軌跡 継承の志―」が11月25日まで開催されている(前・後期で展示入れ替えあり)。

 東寺は平安京遷都から2年後の796年に創建された。以来、寺域を変えることなく、現代にその姿を伝えている。現存する平安京の遺構は、東寺のみとなった。

 境内にそびえたつ建造物は、焼失や地震による倒壊などで被害を受けたが、そのたびに再建や修理が行われてきた。そして、宝物は弘法大師・空海が唐から持ち帰った請来品なども修理を経て伝わっている。

 特に2010年から10年以上にわたり行われた境内の史跡整備や国宝・重要文化財の建造物、彫刻、絵画、工芸品、古文書などの修理は、真言宗立教開宗1200年を念頭に置いた記念事業の一環だった。

東寺 御影堂牛玉宝印版木(南北朝時代 2012年重要文化財指定)東寺蔵

 官立寺院だった東寺は、823年、空海が嵯峨天皇から下賜(託されて)以降、密教寺院として変容する。

 金堂、講堂、五重塔という伽藍配置は奈良の寺院にも見られるが、密教儀式を行う灌頂院(かんじょういん)や、講堂に21体の仏像を配置した立体曼荼羅、五重塔内部で心柱を大日如来に見立て、周囲に4体の仏像を配置する構造に「密教化」への変遷を見ることができる。

講堂 立体曼荼羅・五智如来坐像 <※提供:株式会社 便利堂>
五重塔(国宝)内陣 ※許可を得て撮影しています

 当初は後白河法皇の援助を受けて修理をしていたが、法皇崩御後は源頼朝が引き取り、鎌倉幕府として修理を施すようになり、武家政権が東寺の修理を担うようになった。

 さらに1486年の土一揆による伽藍焼失、1596年の大地震による倒壊を経て、室町幕府や豊臣政権、徳川幕府によって再建された歴史がある。

後宇多法皇像(写真奥)、仏舎利置文(御宸翰=自筆)後宇多法皇は出家後、東寺・灌頂院で伝法灌頂を受けて阿闍梨となる

 今回の特別展示のメインは、東寺に伝わる第一級の寺宝。

 いずれも国宝で、空海が最澄に宛てた手紙「弘法大師尺牘(せきとく 風信帖)」や、現存最古の彩色曼荼羅であり、平安仏画の最高傑作として名高い「両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅))のほか、長期間の修理が完成した宝物や、近年重要文化財に指定された宝物も紹介する。総展示数は前期・後期含めて47件(77点)。


東寺・オフィシャルサイト
特別拝観「東寺のすべて」オフィシャルサイト

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