2015年8月、指定暴力団「六代目山口組」が分裂、「2つの山口組」の構図となった。この時、尼崎市内に暴力団事務所(関連施設)は8か所と、他地域に比べ、突出していると言っていいほど多かった。
尼崎市には「暴力団追放推進協議会」が設立され、「暴力団排除活動支援基金」を設け、ふるさと納税による基金の寄付を市民団体の支援として活用した。
こうした中、2019年に対立抗争が激化、同年11月には、市内の繁華街近くで神戸山口組元幹部が射殺され、一気に緊張が走った。両組織は暴力団対策法に基づく特定抗争指定暴力団に指定され、尼崎市は警戒区域となった。これは現在も解除されていない。その後、2020年11月には市内2か所で発砲事件が発生、この2年間で3件もの事件が起きた。
◆対立抗争、その先に…
しかし、尼崎市では従来からひったくりや自転車盗といった、治安の悪さを象徴する課題に取り組んでいたのがベースになり、市民や警察との連携という、“歯車”が回り始めていた。
尼崎市の暴力団事務所をめぐっては、公益財団法人・暴力団追放兵庫県民センターが2021~2022年、暴力団対策法の代理訴訟制度に基づき、近隣住民から委託を受け市内3か所の暴力団事務所の使用を禁じる仮処分を申請して認められ、各事務所の建物は民間に売却され解体された。このほか2021年6月には、画期的な出来事として全国の自治体で初めての取り組みとして、六代目山口組系幹部宅を買収した。
かつては市の老人センターに暴力団事務所が隣接、物々しい雰囲気に包まれていたが、今は住宅地として生まれ変わった。こうした暴力団排除は、抗争事件がきっかけで進んでいく。
「もう二度と活動拠点をつくらせない」という強い信念のもとで成し遂げた。そして2022年9月、六代目山口組系傘下組織の事務所が自主的に閉鎖され、尼崎市内の暴力団事務所はゼロとなった。
ラジオ関西の取材に稲村氏は「何といっても、勇気ある地域の皆さんや企業の方々の取り組みです」と答えた。自分一人では、行政の一方的な手導では、とてもできない大仕事だった。
周囲からは「(暴力団排除に携わり)身の危険を感じないのか」という外部の指摘もあったが、「先に勇気を示してくださったのが地域の方々だったので、私自身がひるむことはなかったんです」と振り返る。
暴力団排除以外に、違法風俗街の解体(2021年11月)時には、公務で使用する車種を変えるなどしたが、そうした危惧はなかったという。
「尼崎市から(暴力団が)出で行けば、それでいいのかという考えもあった。しかし、ひとつの取り組みとして、100点満点にはならないが、100点取れないからやらない、という言い訳はしないでおこう、という考え方もあった。60点でも70点でもいい。(暴力団に対する)包囲網を作って、行動範囲や拠点を縮めていくことが重要だから」と言い切る。
◆尼崎がたどる悲劇の軌跡