【橋本】 対立していても心の底ではつながっていたと思いたいですね……。バンドって仲がいい、悪いだけではとらえられない複雑な人間関係がありますから。
【中将】 菜津美ちゃんも去年、葵ちゃんが脱退するまでは「半熟BLOOD」(※橋本がボーカルを担当する鉄道系音楽グループ)で作詞、作曲を分担していましたよね。
【橋本】 「半熟」でも、特に初期のころはけんかになることがよくありましたね。より良い作品にしようと指摘し合うんですが、それが相手にとってはこだわりの部分だったりして……共同作業って、伝え方やタイミングが悪いと、人間性や才能を否定されたかのように思っちゃいますよね。若いと、その判断がお互い難しいんです。
【中将】 個性がぶつかり合うことがバンドの魅力の一つだけど、それゆえに身を削るような部分は確かにありますね。
さて、キャロル時代ばかりにスポットが当たりがちなジョニーさんですが、ソロになってからも精力的な音楽活動を展開しています。大きなヒットには恵まれませんでしたが、ロックンロールの進化系を目指した『ハイウェイ・サタディ・ナイト』(1976)や、オールディーズの名曲たちを日本語訳して歌ったアルバム『ポップン・ロール・コレクション』(1977)などは歴史的にも非常に有意義な作品だったと思います。
【橋本】 『ハイウェイ・サタディ・ナイト』、キャロルの感じとは違うけどノリノリの曲ですね!
【中将】 キャロル解散後、矢沢さんはポップス、歌謡曲的なテイストを取り入れていくけど、ジョニーさんはロックンロールにこだわり続けました。どうしても矢沢さんと比較されて正当な評価がされない傾向があるんだけど、最晩年に僕がAll Aboutで『再評価! ジョニー大倉の功績を考える』という記事を書いたときは大反響で、ご本人もとっても喜んでくれました。もうすぐ亡くなって丸9年……いつまでも語り継いでいきたいと思います。