ウーバーイーツや出前館、ピザ屋の宅配など、最近は町の至るところでフードデリバリーを見かけるようになりました。とはいえ、「出前」と聞いて昭和生まれの人が思い浮かべるのは、スーパーカブで運ばれてくる“そば”や“寿司”ではないでしょうか。
そんな昭和時代の出前文化を支えたのが、バイクなどの荷台に取り付けられた「出前機」です。出前機の歴史や現在について、現存する唯一のメーカー・株式会社マルシンの森谷社長に話を聞きました。
―――「出前機」はいつ生まれた?
【森谷さん】 弊社で作りはじめたのは、1960年代です。その10年近く前に、エビス麺機製作所さんが作ったのが最初だと聞いています。出前機が誕生する以前は、皆さんが想像する通り、そば屋さんがお皿を何枚も重ねて曲芸のように運んでいました。そんなそば屋さんの悩みから生まれたのが、出前機だったそうです。
―――誕生後、すぐに普及した?
【森谷さん】 そもそも出前機が誕生したことが広まっておらず、発売当初はそこまで普及しなかったそうです。発売から10年ほどが経ち、1964年に開催された東京オリンピックを機に爆発的に広まりました。実は、東京オリンピックの聖火を運ぶのに出前機が使われたんです。そこで全国的に知られるようになり、一気に広まりました。その後、1972年開催の札幌冬季オリンピックでは、弊社の出前機が使われました。
―――その後は?
【森谷さん】 1970年代に入りファーストフードやファミレス、コンビニなどが登場し、外食文化が多様化していくにつれて、出前機の出番はどんどん減っていきました。
しかし、1980年の宅配ピザの出現を機に、再び出番が増えました。保温の必要性がある宅配ピザでは出前機を使用することはないのですが、宅配ピザの出現により寿司の宅配専門店なども増加。そこで再び脚光を浴びることになったのです。たとえば、宅配寿司「銀のさら」では、今でも現役で使用いただいています。